ちごゆり嘉子の部屋

お花っていいなあ~おもに山野草の紹介します。
お庭の花も素敵!毎回お花と共に しあわせを送ります。 

天河別神社 古墳群 (18-704)

2018-07-04 00:00:30 | 名所旧跡
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今日は7月4日で、7な4し 梨の日ですって。

まだ先だけども・・・おいしいから早く食べたいねえ・・・。




今日は我が大麻町池谷地区にある天河別神社の写真です。




天河別(あまのかわわけ)神社 鳴門市大麻町池谷西谷 に 鎮座。

この神社は、JR鳴門線が高徳線より分かれる、池谷駅の北西400m程の辺り、鳴門市の北に連なる阿讃山脈の山麓に鎮座しております。
忌部氏の遠祖天太玉の命の子で天富命の父と言われる天河別命を祀る、由緒ある神社ですが、どうも神社より古墳群の方が有名なようで、案内板には「県指定史跡 天河別神社古墳群」の文字が大きく書かれております。神社の北を走るバイパスも古墳群を護る為、トンネルとした位ですから、その大事さがわかろうというものです。

祭神 天河別命・・・。


 天河別神社は、古く由緒ある神社なのですが、近年 古墳群が見つかり 今では古墳の神社のようで 気の毒な感じです。 












神社の紹介よりも、古墳群の看板が目立っています。


 

古墳時代前期~中期に築造された10基以上で構成される古墳群。
1号墳は径約25m、高さ約2.5m、周濠をもつ2段築成の円墳で、竪穴式石室から銅鏡(珠文鏡)や鉄剣、鉄斧、刀子、土師器などが出土している。2号墳は1号墳とほぼ同規模の円墳で、3段築成で葺石を備える。3号墳は全長約42mの前方後円墳、4号墳(前方後円墳?)は割竹形木棺を納めた粘土槨から銅鏡(二神二獣鏡)が出土している。
県指定史跡、1958(昭和33)年指定。




古墳群は、神社の裏手の 山一帯にあります。




1号墳 神社本殿後ろでした。




 神社南から裏に回り込むと 一番目にあるのが この2号墳でした。




順路からそれないよう 竹で囲ってあるようでした。






幼木がかわいく生えてました。







 次の3号墳へは





 少し離れて西側 急坂を上って先で、 最後に見つけました。 







 4号墳 です




竹林づたいに・・


この4号墳奥にまだ続くのですが、 この奥は、原始林になっていて 草が生い茂り 一人では入っていけませんでした。

3号墳の発掘当初2009年であったかしら、友人と見学会に参加してます。

鳴門市教育委員会専門官の募集で、 見学会がありました。



 その当時には、次々全部の古墳が見られたようした。 
在職中で参加できてありませんのが、  埋め戻してから・・見るのは、後の祭りで・・残念だが この規模ですからここがその昔に大きな生活地域であったことが分かり 感慨深いです。


今日もお付き合い有難うございました どうぞいい日でありますように お祈りします。



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家屋内部(18-130)

2018-01-30 00:00:20 | 名所旧跡
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ボランテアガイドさんが居ず 土間から写真の撮らせてもらいました。











奥の 床の間です。



 
手前に 小学生の 絵が張り出されてました。




 帳場



土間の先に かまやがあり・・・





 道具が残っています。














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大坂口御番所(18-129)

2018-01-29 00:00:23 | 名所旧跡
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大坂御番所は、駅を出て左に向かい ゆっくり歩きで20分程です。 左方向に踏切を渡り 西南の奥であり、たどり着きます。




「大坂口御番所」は、大坂峠への登り口にあり、正保元年(1644年)に徳島藩が設置した関所の一つで、明治5年(1872年)に廃止されるまで約230年間の長きにわたり、村瀬・久次米の両家が御番所役人を交代で務め、阿波讃岐間の人や物の出入りの取締に当たった。御番所そのものは、数十年前に取り壊されて現存しないが、当御番所跡には代々番所役人をしていた村瀬家が居住していた建物(町指定史跡)が現存しており、毎週日曜日に無料で建物内が一般公開されている (全国観るナビより)



 この日は冷え込んでいて、お昼過ぎでしたが、お庭のスイレン鉢の水がまだ凍り付きとけておりませんでした。





柊南天も 寒げですよ。







井戸のようです。





 係りの方が明けて見せて下さいましたが、 だいぶ深くなっていると言うことでした。










 大きな瓦は、きっと棟瓦ですね。




昔の 農機具が、軒下に 集められたのでしょうね。






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仁王像と別嬪さん(18-115)

2018-01-15 06:49:37 | 名所旧跡
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熊谷寺山門の 仁王像です。
向かって右側の 開口の阿形(あ ぎょう)像。







向かって左側は 口を結んだ吽形(うんぎょう)像です。




おまけに撮影しました

力強い 足元です。




もう一枚です。  ここで初めてお会いした 大阪からのご家族連れの中から代表です。

 お嬢さまが美しく モデルをお願いしました 快くOKでした。 

これからお父さまの実家の池田まで、ご両親と弟さんの4人で、行かれるとの事でした。


門前の 木は、

白木蓮・・・  お花咲くころ来てみますね。」
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熊谷寺山門(18-114)

2018-01-14 00:03:00 | 名所旧跡
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 熊谷寺山門は・・・ 県指定有形文化財建造物です。 1月2日の撮影でした。本堂には寄りませんでした。 

以前より気にはなっておりましたのですが いつも素通りで この山門の撮影はがやっと出来たのです。


熊谷寺(くまだにじ)は、徳島県阿波市土成町土成にある高野山真言宗の寺院。

四国八十八箇所霊場の第八番札所。本堂は昭和2年 火災で焼失。再建を経て、現在の本堂は昭和46年に完成。

多宝塔などは、当時のまま残っているようですから、立派な境内だそうです。









 名前があがっていますが・・・普明山でしょう。


 
 山門から 遠く南を 望んでみました。



最後です


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海陽町に吉野城址あり(17-1018)

2017-10-18 08:48:37 | 名所旧跡
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余談ですが、 今朝はこれから 歯医者の予約が入っていて そろそろ出かけます。  年取れば、歯の1本が、大切です。

大事なあまり 磨きすぎだったのかしら 一本欠けている・ と・・検診で見つけてもらいました。
皆さまは歯ブラシの硬さはどんなのを、お使いですか? 私のような年寄りには・・・普通よりも、やらかいのがいいそうですよ。
歯の付け根と歯ぐきも併せて磨くのだそうです。と

若い方もきっと柔らかめがいいと思いますよ・・・






海陽町の 水田の中に 吉野城址があると地元の若者が教えてくれました。




のどかな 田園風景の 中ほどに この碑がたっておりました 平城であったようですね。

後ろの山の上には、山城があったのでしょう 今は山頂に愛宕神社があるそうです。


由来の看板が立てられていました。 当時からの 井戸があると、お聞きましたが、 草に覆われていて見つけることはできませんでした。






近くの山すそに神社があり 狛犬と神殿です。






 神社の神殿はこの後方に 立っていました



 





オオジシバリ(アカリプタさん) 黄花が・・・素敵でした。



キク科ノニガナ属. 葉はへら状楕円形。


 海陽町は我が家から、3時間半もかかりましたが、見るべきところはたくさんありますから、いい時間を過ごせました。  

きょうも‥ご訪問有難うございました いい日でありますようにお祈りします。

あしたも どうぞよろしく お待ちしています。

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