私の友人のご子息が、この秋に、ある国際スポーツ競技に出場するためにヨーロッパに行くことになった。
まだ中学生なので、保護者同伴である。
親子初めての海外遠征。
ジュニアクラスでは、ラストチャンスだろうと云われていた。
中学時代のいい思い出にもなるだろうと参加を決めたという。
会話もできない、海外旅行もはじめて、不安だらけだという。
アドバイスを求められ、「大和魂と武士道の精神で臨めば何とかなります」とは本当にいい加減なアドバイスである。
「申し込んでから、後悔ばかりしているんです」と言われたので、立命館大学のモンテ・カセム教授の話を教えてさしあげた。
若い時期に異文化に触れる意義について説明してくれています。
「まず自国の文化を見直せます。
生まれ育った国の、よいところ悪いところがはっきりと見えてくる。
また、自身の強さを得ることができます。
一度弱みを知らなければ強さは得られない。
若いうちにそれが見える『不慣れな場所』に身を置いた方がいいのです。
恵まれた環境の中で満足に暮らしているばかりでは、自分の可能性すら気づかないことがあります。
異文化体験に挑戦する、そして己を知ることで、本当の意味で人生を豊かにする自分の感性が磨かれるのです」
と言われてますよと紹介すると、大変喜ばれて、「確かにそうですね。決断した甲斐がありました。」と礼を言われたので、つい図に乗って会話についても次のように紹介してしまいました。
グローバル化に伴って必ず問われるのが、日本人が苦手意識を持つコミュニケーション能力である。
時に語学力と同義に語られるが、カセム教授の見解は少し違う。
「こんな話を思い出します。高校生の頃、私は先生に『どうすれば英語が上手になりますか?』と尋ねたのです。
答えはこうでした。
『面白い人間になりなさい』----と。
この本を読みなさいとか、こんな練習をしなさい、という答えを予想していた私は驚きました。
『面白い人間になれば、その人の話す内容に人々は耳を傾けてくれます。
人が耳を傾けてくれれば、一生懸命伝える努力をするようになるから、言語は自ずと上達するのです』と先生は言ったのです。
私はこの先生に今も感謝しています。
なぜなら、それが真実だったからです。
面白い人間というのは、funny(ファニー)という意味ではなく、話すべき内容を持つ、興味深い人間という意味です。
言葉の勉強は確かに大切です。
でもその前に、内容のある魅力的な人間になること。
それが、異文化の中でのコミュニケーションの極意だと思うのです。」
なかなか、いいお話でしょう?