ひつじ飼いのキノコ岩との日常

家庭の事情から、トルコ国内のすったもんだまでw

オニューのPC、到着♪

2015年03月19日 21時52分19秒 | 日常生活
本日、
新しいパソコン君が
届きやした~w

その名も。
「ASUS X555LN-XO028H」



いえ。
実は、アタクシw

そんな事言われても
ぜ~んぜん、

ちんぷんかんぷんの
おっぺけぺ~でござんすがw

我が家の長男殿が
自信を持って、

おススメしてくれた
1品でござんすw

いや。
以前は。LENOVOのPCが
あったんすけどね~。

なんつっても。
最初から、

トラブル続きのPC
でして。

わざわざ
日本から買って来てもらった

PCだったにも
関わらずw

修理に修理を
重ねた結果ww

最終的には
全部、トルコのパーツに
なっちゃったよ、ってほど。

原型とは
程遠い、PCだった…www

で。
最終的に

約半年前に。
長男が、上からチャイこぼしてw

画面が割れて
死んでしまった、と…(爆)

そのまま。
スマホとか、タブレットとかで

その場をしのいでいた
ひつじ飼い家メンバーだったのだがw

ここにきて、子ひつじ~ずが
学校から

学習ソフトを借りてきて
それをインストールして
宿題しなきゃいけない、だの。

なんだかの
プログラムを使う
授業がある、だの。

要するに。
PC必須状況が出現しww

ホントは、今
ちょっと、家計苦しいんだけど…。

これは、買うしかあんめえ、
ってことになり。

長男に
「2000リラくらいで、使えるPCを探せ!」と

と~ちゃんから
指令がくだったワケだw

もうさ。
こういうことなら

勉強そっちのけでも
ガンバル長男。

性能的に納得のいくもので
1リラでも安いもの、を

日夜、探して
くれたわけだよ~。

で。
選んだのが
こちらだった、ってわけ。

ネブシェヒールって~と。
小さい、地方都市なんで。

ディスカウント家電屋は
「TEKNOSA」と「BIMEKS」しか
ないのだな~。

この2店は
微妙に、品揃えも、違う。

TEKNOSAは、こう
もうちょっと、

大衆的に、わかりやすい感じの
品揃え?

BIMEKSは、もうちょっと
マニアックな感じの
品揃え?とでも
言いましょうかww

で。
そんじゃあ、実店舗に
下見に行ってみよう~♪

そこに、在庫があったら
すぐに持って帰れるし♪

ってんで。
長男連れて、お店まで、出向く…。

値札には
PCの性能が、ずらり、と
書き並べて、あるのだが。

ひつじ飼いにはちんぷんかんぷん…。
いや。

外国語習うより
難しいよ、これ理解するのwww

それを、いちいち
読み解いて

「これは、ダメだ!」
「こんなの、お金出すだけ、もったいない!」


ひとつひとつ
検分していく、長男さん…。

そして、最後に
ASUSの棚に行って

「ふん、ふん…ふん、ふん…。あっ!これだよ!
買おうって言ってた奴、これ!!」

ところが…。
ディスプレイしてある1品を残して

在庫は終了してます~と
言われてしまった、わしら。

それなら、
ネットから、注文してください!と
食い下がる長男。

あんた。
こういう、ど~でもいいことになると

なんで、途端に
こう…燃えるんだろうねえ~…(爆)

BIMEKSのネットショップ上には
まだ、在庫がある様子♪

で。
結局、その場で

ネット店舗から
取り寄せにしてもらって

我が家は無事に
PCをゲットできた、ってわけでしたw

「これなら、ゲームでも、ブログでも、映画でも
なんの目的でも、オッケーだよ!!」

と。
ご機嫌の長男さんに。

しかし。
ここで、と~ちゃんの
鬼のヒトコトww

「お前ら、このPCで、ゲームしちゃあ、ダメだぞ!!」

子ひつじ~ず、二人揃って、
絶叫!!!

「エ~!!!何で!!!」

「大体、お前らが、ゲームして、今までのPC全部壊してきたんだからな!
それに、ゲーム始めると、勉強しなくなるだろ!」

「ゲームしなかったら、PCなんて、あってもなくても、同じじゃん!」

「何でだ!勉強に使う、って約束で、買ったんじゃないか。最初から。」

「だけどさ~!!!ぶっーーーーーーーーーー!!!!」

大ブーイングの中。
一方的に、話し合いは

中断されて
しまったが(笑)

果たして、
子ひつじ~ずは

PCでゲームを
遊ばしてもらえるのか?!ww

…どうせ、ひつじ飼いは

自分専用の
ちっこいPCがあるのでw

ASUSさんのお世話になることは
ほとんどない、と
思われるのだけどww

さて。
一体、今度のPCは

果たして我が家で
どのくらい、もつんだべww



本日もお付き合いいただいて
ありがとうございます!

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チャナッカレ戦勝記念日

2015年03月19日 09時16分50秒 | トルコ文化
今日、3月18日は
「チャナッカレ戦勝記念日」
で、ござんした。

しかも。
100周年記念、とあって。

盛りだくさんのイベントで
お祝いしたトルコ、でござんす。

チャナッカレ戦争は。
海戦と陸戦が
あるんですが。

まず、海戦が起こって
これに勝って

次に、敵軍は
そんじゃあ、と上陸してきて

陸戦に突入し。
これにも、勝利したわけなんだけども。

合計で、敵味方あわせて
約50万人の死傷者が出た、ってんだから。

もう。
大変な戦争で
あったわけで、ござんす。

50万人って~と。
トルコだったら

アンタルヤとか、カイセリあたりの
都市が

丸々、全住民
死傷したのと、同じくらいな感じ?

日本だったら…。
川口市とか、千葉市とか
東大阪市とか、静岡市とか…。

その辺りが
50万人都市、だそうなんで。

そこの住民全部
死傷した、って感じですか。

どんだけ
すごい数の人が犠牲になったか

なんとなく
想像できるかな…。

時は、1915年。
世界は、第一次世界大戦の真っ最中。

ドイツ、オーストリア、ブルガリアに
味方して、オスマン帝国が加わったのは
「同盟国軍」

対して。
イギリス、フランス、ロシア、後に、
日本、アメリカ、イタリア
なんかが

タッグを組んだ
敵国側が「連合国軍」

イギリスは
味方のロシアに

必要物資を届けようと
地中海から、黒海突破を図る。

そこに。
同盟国側の

「オスマン帝国軍」が
待った、をかけて

チャナッカレ海峡(英語では、ダーダネル海峡という)を
通す、通さない、の

一大戦争に
なったわけでした。

最初、イギリス軍は
チャナッカレ海峡通過なんて

ちょろい、ちょろい~♪


かなり、甘く見て
作戦を敢行したのだけど。

軍艦は沈められるわ、
大砲の的になるわ、で

散々な目に
遭って。

そんなら、
海峡の両岸に展開する

トルコ軍兵士を
蹴散らしてから

通過すれば
いいんじゃない、ってんで

上陸掃討作戦に
切り替えるのだけど。

これも、残念ながら
不発に終わり。

最終的に
海峡通過を断念するのですだ。

この時の。
陸戦で

見事、イギリス軍の上陸を
ほぼ、食い止める作戦を指揮したのが

その後。
トルコ建国の父となる

「アタチュルク」その人
だったわけですだ~。

な~んて。
ずいぶん、簡単に書いてますが。

足かけ、トータルで
1年半くらい

押したり引いたり
してたわけよ。

この、チャナッカレ海峡
周辺で。

トルコ中の
村や町から

兵士として
若者が徴収されていって

義母の祖母が
その昔。

「戦争に行く兵士は
皆、あの丘を越えて、出陣して行ったんだけどね。
誰一人として、帰っては来なかったんだよ…。
もう、2度と、あんな時代は、こないといいねえ」
って

遠い目をしながら
よく話してくれた、って言ってた。

チャナッカレ戦争の重要性、
としては。

1、たくさんの犠牲者を出したこと。
2、オスマントルコ帝国が、独力で戦った、
  唯一の戦線であったこと。
3、イギリス軍の物資が、届けられなかったことが、きっかけとなって
  最終的に、ロシアの戦線離脱のきっかけになったこと。
4、アタチュルクの指導力が認められて、知名度がぐん、とアップして
  国民的英雄になり、その後の独立戦争のリーダーとしての
  基礎を作ったこと。

なんて、言われてますが。
要するに。

「アタチュルクのもとに、集結したトルコ人の
愛国心の強さ、勇敢さ、そして、ネバーギブアップ精神を
象徴するできごととして、伝説化している!!」

と。
いうことなんだ、と
思います。

でも。
そう言うだけの、
事はあったんだよね。

義母によれば。
すべての戦争が、
終わったあとに。

トルコ中の、
町や村から

働ける年齢の男性が
ほぼ、すべていなくなって

それからの10年ほど。
要するに。

男の子が成長して
また、働ける年の男性になるまで

働き手は女性のみ、で。
大変苦労したらしい。

って。
言ってたもんね。

トルコ中の男子学生が
戦死したお陰で。

トルコの発展が
その後、大きく遅れたとか
言われてるんだって。

まあ。
それだけ、大きな犠牲を払って

手にいれた
「独立」だったからね。

今でも、トルコ人が
とても強い思い入れを

もっているのも
うなずける。

チャナッカレ戦争を含む
第一次世界大戦は

オスマントルコが加担した
同盟国側、が負けて。

トルコの領土は
ばらばらに分割されそうになる。

そこに、待った!を
かけたのが、アタチュルク。

独立戦争を立ち上げ
オスマン朝を解体し
共和国を樹立して

今のトルコの
領土を守ったわけよ。

この、一連の出来事が
起こったのが、

90~100年前
だったわけさ~。

ちゅうわけで。
官公庁舎はもちろん

いろんな家のベランダにも
今日は、

トルコ国旗が
翻っていたわけだす。

って。
考えてみれば。

我が日本は、
当時、トルコの敵対国だったんやな~。

その国民が。
のこのこ、こんなトコロまで

嫁にやってくるとは…。
マコト、運命とは、数奇なもので
ござんす…www



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