心の花束

つれづれなるままに心の中に花束を持ちたい

祈り

2009-06-22 | 教会
蒸し暑くて頭がボーっとしています。

今日は沢山の人と交わり電話での会話、見たかったビデオを観て充実した一日のはずなの

に心がさえません。何か心の奥に引っかかっているものがあるのかも・・・。

自分で自分の心をコントロール出来ずにいます。

祈りの言葉に出会いました。

おおらかな心が欲しいのです。
何処までも広がっている大空のような心が。
人の自分中心なふるまいを目にしても、心の波を騒がせることなく、
冷静に受け止めることの出来る心が
誰の協力も得られず、自分一人で仕事をすることに疲れを覚えることがあっても
周りの人を非難したり悪く思ったりすることのない心が
けれども神さま、いつもおおらかでありたいと願いながら
小さな事にこだわり、優しくありたいのに人を傷つけてしまい
賢くありたいと思いながら愚かな事を繰り返してしまう私です。
おおらかな心、それはイエスさまのお心、十字架の愛ですね。


教会の礼拝説教は「主の道を歩む」と題してヨハネの人物に迫りました。
聖書はヨハネ1:19~28です。

知り合いの方の新聞記事です。良かったら読んでください。
読売新聞  6月17日  13面
【論点】
「性暴力被害者への支援」です。
彼女は一昨年「STND」という本も出版しています。
女性は被害者となることが多く、それを声に出していえないことは悲しい事ですね。
心に背おった傷は癒えることはないのですから。
コメント
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