呼吸で癒そう

ゆっくり呼吸するだけでカラダは安心して落ち着き
内側からゆるんでいきます
ゆるんで笑ってぷくぷく参りましょうぞ

話を聞く威力

2010年03月02日 | 感じること、いろいろ
今朝車を運転しているときに、ラジオから交通情報が流れた。
半蔵門線が人身事故のため、これだけあれだけ遅れていると。
聞きながら、あ~また人身事故か、と心が重くなった。

英語で話す割合が多いインターFMというラジオ番組だったので、
すぐにその情報が英語に訳された。

私は英語で聞いた瞬間に、生々しい直訳に悲しみで涙が止まらなくなった。
”半蔵門線は、自殺により遅れています”と。
人身事故という言葉は、自殺により、と言われるよりオブラートに包まれている。

去年日本に久しぶりに帰国した際に(私は海外生活が長かったの巻)
あまりにも多い人身事故に毎日毎日驚いた。

聞くたびに胸が痛んだ。昔フィリピン人の友達が言っていた事を思い出した。
フィリピンは日本よりずっと貧しい、けどみんな笑ってるよ、と。

本当にそうなんだ。お金があろうがなかろうが、あの人達って明るいし、
歌はうまいし、踊りはうまいし、人とすぐ仲良くなるし、いつも笑っている。
家族や仲間が集まって寂しくない環境が常にある。

今朝泣いたあとに驚いた。私は人身事故という言葉に、この一年の間に慣れてしまっていたのだ。 
その事に生々しい英語での自殺という言葉を聞いたショックから気付かされた。
それがまたショックだった。

人身事故に慣れてはいけない。この状態は異常だ。
日本という大きな私たちの家族の誰かが苦しんで苦しんで、命を絶っている。

今日ニュースで自殺撲滅キャンペーンについて言っていた。
ハローワークに相談窓口を設けたそうだ。

自殺しようと思ったお花屋さんが、かつての苦しさ、そして何が彼を思いとどまらせたのか話していた。
知人がじっくり彼の話を聞いてくれた。そしたら自分の苦しみを話す事ができた。
多額の借金があるんだ、と正直に初めて話す事ができた。

すると不思議と心が軽くなったと。
テレビに映る彼のお店には素敵な色鮮やかなお花がいっぱい並んでいた。
  
本当に苦しい時は理屈やアドバイスは通用しない。
その辛さを辛いんだとわかってくれたんだ、一人じゃないんだ、
という安心感が心に明かりを灯す。

誰にでも経験はあることなんだと思う。
話を聞いてもらっただけで楽になったこと。

そして笑い。
笑いは免疫力をぐぐんと上げる。

何が正しい、じゃなくて何が楽しい、で生きる時代になっていったら、
人と人のつながりがもっともっともっともっと太くなって、豊かになるんじゃないのかな。

『降りて行く生き方』という映画について皆さん知ってますか?
今話題になっている映画で、私の周りのハートが熱い人たちが企画して上演会を計画している。
この間も一人、そして今日も一人熱い魂に触れた。

私がここで書き連ねるよりも、納得できるのでホームページに行ってくださいまし。

http://www.nippon-p.org/mov.html











どうにもならないことって、きっとどうでもいい事や

2010年01月29日 | 感じること、いろいろ
墨で美しく書かれた力強いこの言葉を見て、
うぉ~~~~~~~~~~~と、夕べ私はうなった。

本当にその通りだと思う。
どれだけ頑張っても、どうにもならないことってある。
どんなに気にして悩んでも、どうにも変えられない事ってある。
どんなに後悔したり悲しんだり悔しくても、どうにもならないことはある。

そしてそれは、その時は自分の狭い頭の中では凄く大きい事なんだけど
人生からみたら、笑っちゃうくらいありがたいことだったりする。

そう、きっとどうでもいい事や。
心が笑った。心が軽くなって、うなづいた。

どうにもならなかったおかげで、新しい道を見つけられることもある。
どうにもならなかったおかげで、新しい自分を見つけられることもある。
その時は辛くても、必ず新しい何かが自分を待っていてくれる。

以前どうにもならない状況下にいた私に、友達が祈りの言葉を教えてくれた。
楽になるよ、頑張らなくていいよって。

私は祈った。答えがまったく見つからず、前が何も見えなかった。
友達に言われたまま、天に任せるしかない、とただ救いを求めて祈った。

神様
私が変える事のできないことを、受け入れる落ち着いた心を与えてください。
私が変えられる事を、変える勇気を与えてください。
そして私が変えられる事と、変えられない事の違いがわかるように、智慧をさずけてください。

この神聖な祈りは世界中で愛されている。
有名な祈りの言葉らしい。

そして同じような意味合いを持つこの言葉は、たった一行で私を笑わせた。

どうにもならないことって、きっとどうでもいい事や




食べる、祈る、愛する パート3

2010年01月25日 | 感じること、いろいろ
さてさて、今回が食べる、祈る、愛するの最終パートです。
愛する。

イタリアで悲しさと苦しさから食べに走り、太ってしまったけども
出会った人たちの温かさに触れて、どん底からは少しあがった筆者。

別れたくない彼にそっぽを向かれたことや、離婚した旦那のことや
幸せも不幸せも自分の外側にあった。

しかし、インドでの4ヶ月で彼女は生まれて初めて
本当の答え、愛は内側に自分の中にあったことを瞑想を通じてしる。

答えは自分以外のどこにもなく、すべて自分の中にある。
愛も、喜びも。それは静けさの中に、乱れの無い心の中に存在することを
筆者は知った。

すっかり悲しみも苦しみもなくなり、いよいよこの本の最後の場所、バリ島へ。
以前雑誌の編集者の仕事で出張でバリ島を取材した時に、
村で有名な占い師のおじいさんに彼女は出会った。

そのとき、彼はこう予言した。
あなたは私の所にしばらく来て勉強することになるでしょう。
すべてを教えるから、来なさい、と。

その彼のもとでゆっくり人生のなんたるを勉強するつもりで彼女は
再びバリ島を訪れた。

しかし、なんともこの占い師のおじいさんはあれだけ言ったのにも関わらず
彼女を覚えていない様子。

しかし彼女はおじいさんのところに通って、色々と教えてもらいながら
バリ島での生活を楽しみ始める。

バリの伝承医学のヒーラーにおじいさん経由で出会い、友情が芽生え
膀胱炎を薬草であっという間に直してもらったり、人生を語ったり
と、ゆったりじんわりバリのゆるやかな空気に包まれている毎日だった。

一軒家のお家を借りて、自転車でおじいさんのところに通って
ヒーラーと女同士の話で盛り上がって、甘いのんびりな毎日を送っていた。
ヒーラーのクリニックで知り合ったイギリス人のおばさんにパーティーに招待されてその晩、久しぶりに社交の場に出た。

バリ在住の西洋人達の集まりのパーティー。筆者はアメリカ人。
画家だったり、作家だったり、リタイアしたお金持ちだったり
自分の国より、のんびりなバリ島の生活を好む人たちの集まり。

おめかしするドレスなど無いけど、一応ドレスっぽい服を着て自転車で乗り付けた。 
そこで、ある男性と知り合う。バリに25年住んでいるブラジル人。
(だったと思う!?)
彼は彼女の後ろ姿を見た瞬間に、この人と結婚すると思ったそう。
彼女は苦しい離婚と悲しいボーイフレンドとの別れから立ち直ってはいたけど
男の人と関係は持たない、と決めた旅だったからガードが固かった。

そして、度重なるデートというか散歩だったり、おでかけを重ね
自分のままでいられる、素のままの自分をそのまま包んでくれる、
安心する彼に心を開いていく。

ってことで、甘く素敵なデートが重なり、嘘のように傷ついた彼女の心は
すっかり癒され、バリの海と新たな彼の存在、優しさに身も心もとろけていくのです。

二人は実際に本当に結婚して、今はアメリカに住んでいます。

というハッピーエンドなのだ。

私がこの本を読んでいるとき、私はずたずただった。
この本を読んでいる時は、何も考えずに没頭してこの本にのめり込んだ。
バリの章は私に勇気をいっぱい与えてくれた。
だから読み終わったとき、とても悲しかった。夢から覚めたようだった。

この本はちょうど同じ頃に大変な経験をした女友達に勧めた。
セラピーなんか行かなくていいから、この本読んで!と。
彼女もとても勇気がわいて来たと言って、ディナーをごちそうしてくれた。

なんか懐かしい。
そうそう、私はバリ島の占いのおじいさんにもヒーラーのおばちゃんにも会った。
この本を読み終わったちょうど1ヶ月後にバリに用事があって行ったので
友達と落ち合ったついでに、ひやかしで行ってみた。

私はとてもとても美しい心を持っていて
とてもとても愛し愛されて、とてもとても花の蜜のように
甘い幸せな人生を送るらしい。

私の友達も同じようなことを言われていた。
けど、結構彼女に言っていることがぴったり当たっていたので
私に言ってくれた甘い占いも私は信じることにしている。わっはっは。

ヒーラーのおねえちゃんにはバリの薬草を使ったマッサージやれ、
色々と身体をいじくられて面白かった。そしてもちろん薬膳料理。
最後に手相を見せろと言って、頼んでないのに占いをはじめた。

私は友達にとても恵まれている。素晴らしい信頼関係がある。
そして深い愛で結ばれている旦那様が一生あなたを守っている。
と、嬉しいことをいっぱいいっぱい言ってくれた。

けど笑ったのが彼女は離婚した旦那がとんでもない男だったから
私は男は卒業した~と笑いながらケタケタしてた。

バリ島は神々の島。何処の家に行っても、お店に言っても
神棚があって、手を合わせている。

バリ島伝承医学のクスリをいっぱい、彼女は私の為にきちんと神様に祈りを捧げてからくれた。

祈るということ。
イタリアでもカトリック教徒が殆どのあの国では人々は祈っている。
インドではきっと祈らない人がいないんじゃないのかな。
インドの美しさはどんな神様でも、みんな一緒。
人は食べて、祈って、愛して、国は変わってもしていることは同じなんだ。

今まで出会って来た人たちで私の為に祈ってくれた人は、数多い。
その度に真摯な心に私の心は愛で満たされる。

祈るということはどういうことなんだろう。
神様という大いなる存在に祈りながらも、内なる神様に自分の決意を伝えることなのかな。
幸せになるという決意。愛するという決意。

私も今夜は今ちょっと苦しんでいる友達の為に祈ります。
彼女が自分の美しさ、温かさ、素晴らしさに気づきますように。
そして彼女が安心して愛に包まれて眠れますように。








食べる、祈る、愛する パート2

2010年01月07日 | 感じること、いろいろ
新年あけましておめでとうございます。
2010年がみなさまにとりまして、幸多き良き年となりますように。
食べて、祈って、愛し愛されて、笑いの多い毎日でありますように。

さて、前回の続き。祈る。
著者はイタリアで食べて食べて太ってしまい、
その脂肪が見事に次の目的地インドで削ぎ落ちます。心の悲しみとともに。

何故インドに著者が行ったのかといえば、彼女が離婚を決意して
苦しんでいた時にニューヨークで出会ったインド人のヨガの先生から
瞑想を教わり、不安定な彼女が少しは自分を見つめることができるようになった。

そして、その先生が修行をしたアシュラムに行って、より深く自分と向き合おうと
いう目的でインド行きを決意した、ということ。

インドにはこのようなアシュラム、修行寺みたいなところがい~っぱいある。
外国から自分自身を見つめようと、いっぱいやってくる。

著者の先生のアシュラムは、きちんと経済的に自立している人、という
条件があり、自分の人生に責任を持った人しか受け付けない。

著者は離婚で財産を全て失ってしまったので、出版社と掛け合い
こういう本を書くから、と前金をもらった。

そして、インド。
毎日朝5時に起きて瞑想。
日中も瞑想やれヨガやれ、自分と向き合う為の時間。

彼女は始めは全く集中して瞑想ができなかった。
悲しみ、怒り、喪失感や絶望感などが頭の中から消えない。
毎朝の瞑想が嫌で嫌で、どうやって逃げ出すかばかり考えていた。

ここでも彼女には素晴らしい出会いがあった。
あまりにもよく食べる彼女を、"食料品"というあだ名をつけたアメリカ人のテキサス出身のおじさん。
このおじさんが本当にいい味を出している。

彼女のここでの苦しみは、離婚後につき合い始めたボーイフレンドに
距離を置こうと言われたこと。あれだけ愛し合ったのに、あれだけ求め合ったのに、何故何故何故~?と。

それもおじさんが答えを見つける術を提供してくれるのだ。
答えは外にはない、愛も自分の外には無い、すべてが自分の中にしかないのだと。

苦しみもがき、答えが見つからずいる日々が何ヶ月も続いたある日、
彼女の心に静寂と優しさ、温かさが訪れる。

彼女の一方的な離婚の申し出に怒り狂い、財産を全て要求しやっと離婚にサインをしてくれた旦那。
ある夜彼女は一人瞑想している時に、彼の魂を側に感じる。
そして、瞑想の中で二人の魂は手を取り微笑み合う。
肉体レベルでは離婚した夫婦であっても、魂はお互いを尊重しあう尊い仲間なのだ。

次の日にボーイフレンドに、自分からさよならのメールを書く。
送信ボタンを押すのをためらいながら、彼女は新しい自分の心の状態で決意をした。

ある夜に大々的な瞑想会があった。彼女はもうアシュラムに4ヶ月もいるのと、
昨今あった彼女の中の変化で、スタッフとして参加することを頼まれる。

大勢の人が宇宙との一体感を求めて瞑想に入る。
彼女はその晩はじめて全てのものとの一体感を感じた。

全てとつながる為には、まず自分とつながってなければならない。心の静寂。
なんて心地よい、なんて温かく、愛おしく優しい喜び。
恍惚感に涙を流した。瞑想している人たちの間を歩きながら、彼女は自分とつながっている全ての愛に浸った。

インドでなすべき目的は終了。
脂肪と共に、悲しみも流した涙とともに宇宙に消えていった。

そして、彼女は次の目的地、バリ島へ向かう。
自分の心とつながった静かさと優しさと共に。

~つづく~


PS 待っていてくれたきみちゃん、星ちゃん、お待たせしました。
  本当にありがと。ハグハグ、ギュ~

食べる、祈る、愛する

2009年11月02日 | 感じること、いろいろ
去年夢中になってこの私がご飯を食べることさえ忘れてしまうほど
没頭して読んだ本。食べる、祈る、愛する。

英語の本で Eat Pray Love、エリザベス ギルバート著
そのまま直訳で食べる、祈る、愛する。

著者自身の話で、本当に本当に本当に面白い。
タイムリーなこの本との出会いだった。

実際に私のその時の状況とあまりにもマッチしていて
ソファーに寝っ転がりながら、起きている時は息を吸っているか
この本を読んでいるかというくらい無我夢中で読んだ。

英語の本なのにあっという間に読んでしまいそうで
それはそれで悲しくて、終わらなければいいのに、と思いながら読み進めていた。

実際に読み終わった時は本当に悲しかった。
ハッピーエンドで私の好きな終わりかたなのに、終わってしまったのが悲しかった。

真実は力がある。そしてユーモアはどんな立派なうんちくよりも人の心を癒す。
私は本当にこの本に救われて癒された。

著者の離婚、救いを求めた新しい恋人との別れ、自分を亡くしてしまうどん底の日々の中で
ある日お風呂に入っている時に感じた、わずかな光。
それは”イタリア語を習いたい” そのどん底の時に筆者の中で
ただひとつやってみたいと思った事。
イタリア語を習おう、その気持ちが彼女の心をちょっとだけ明るくした。

イタリア、インド、バリ島の3カ所を1年かけてまわり、その事を本に書くからと
その執筆代を出版社から前借りして、旅に出た。

イタリアでは苦しさをひきずりながらもイタリア語を勉強。
そしてとにかく食べた。何も考えずに食べたい物を食べたいだけ。
EAT.

それがどんな理由であれ、ピザやれパスタやれケーキやれジェラートやれ
ポテトフライであれなんであれ
どんなに太ろうが、身体に悪かろうが
その時の食は確実に彼女の苦しみを楽にしたのだ。

そして彼女の心を温かくしたのは、温かいイタリアで友達になった
ユーモアで愛情溢れる人々。とにかくあったかい。

私も去年このイタリア章を読みながら、カウチポテトをして宅配ピザを頼み
プロセッコ(イタリアのスパークリングワイン)を飲んで、
ジェラートとはいかなかったがハーゲンダッツのアイスクリームを冷凍庫に買い込んだ。
(普段健康お宅の私の食事ではあまり無い光景であったのだ、うふふ)

心が癒えていくとき、それは人の愛にふれることで自分の愛の存在を
思い出した時なんじゃないのかな、とふと思う。
そしてどんな自分でもいいんだよ~って全てを受け入れて微笑むことができるとき。

呼吸統合セラピーの師のドナルド エプスタイン博士はいつも言う。
本当に苦しいとき、正論で人は癒されない。
馬鹿をやれ~ってよく言ってた。

その馬鹿というのが、ジャンクを食べることだったり、朝からチョコとアイスクリームを食べることだったり
普段自分がやらないことをする。もちろん、したかったらの場合ですが。。。。

人は苦しいとき、神経が緊張状態にある。ずっと、長い間。
それをゆるめることができるのがユーモアと笑い。
そしてきっと美味しいもの。優しい包容。手のぬくもり。

心が微笑みはじめたら、もう過食は終わるのだ。
自分の中が愛で満たされ始めているから。外に求めなくてもいい。

次回は著者がイタリアでつけた身体の脂肪と、心の重さがとりのぞかれたインドの章をお伝えします。
Pray. 祈り。

この章がまたいいんですぅ。



デトックス

2009年10月28日 | 感じること、いろいろ
最近は日本でもデトックスという言葉が定着してきている。
毒素排泄、いらないものを捨てる、身体に溜まっているいらないもの。

それは身体の毒素、有害金属であったり生命活動の中で必ず出てくる老廃物。
そして家の中のいらないもの、使ってないもの、などなどガラクタを処理して
人生を変えよう、という本もいっぱい目にする。

そして考え方。 自分を今までは守ってくれた考え方が、もういらなくなる時期が人には訪れる。 
それとともに、人生がかわる、自由になる。

最近ふと感じたこと。
私たちに一番必要なのは情報のデトックスではないのかな。

どこにいっても情報が溢れている。
それに惑わされているのではないかと思う。

電車の中に座っていても情報は目から入ってくる。
誰がどうした、誰はどうだ、、、という情報まで。

そして未来は暗いぞ~、こうなるぞ~、大変だぞ~
という情報。

日本はもっと明るいたくましく楽しい国じゃなかったっけ?
と帰国したての頃はよく首をかしげた。

誰かのこうだ、ああだ、という情報を信じるもいいけど、
信じる必要もない。恐怖を胸に怖がる必要もない。

この前見たNHKのクールジャパンという番組で日本に住む外人さんたちが
日本のクールなところ、変なところを言い合う面白い番組なんだけど
そこで、一人の外人さんが言っていた。

日本に住み始めの頃は、日本のテレビも新聞も雑誌も悪い情報ばっかりで
気が滅入ったと。

意識を向けたところに気は流れる。
だったら、なって欲しい方向の情報を流したほうが
より明るい楽しい日本になっていくのじゃないのかな。

誰かが犯した過ちを、国を挙げてだめだぞ~、悪いぞ~
といい続けることが、日本を良くしていくのかな。
責めのエネルギーが果たして実りをもたらすのかな。

膿み出し、が必要なのは政治の世界だけではないように感じる。

ビートルズの名曲、All we need is love。
私たちに必要なのは愛だけ。

私の大好きな言葉です。




ありのままを受け止める、受け入れる

2009年10月20日 | 感じること、いろいろ
私たちは多かれ少なかれそのままを受け入れるのが苦手。
起きてしまった事、やってしまったこと。
失敗や過ち。

とかくなんとか何かのせいにして
言い訳をして、自分の都合のいい話に変えてしまう。
無意識であれ、意識的であれ。
子供であれ、大人であれ。

例えば別れ話。一つの事実に対して、二つの話がある。
見事に違う二人の言い分。 

私は以前本当に驚いたことがある。
まったく事実無根な話が広がっていた。

もちろんその瞬間、ちがう、まったくちがう、、、
と自分をかばう。

けどあるとき思ったのは、そうしたことによって何が産まれるんだろう。
私が事実を唱えてこうだ、ああだ、と言ったところで
私は正しい、というプライドは喜んでも、人間の関係はなんの愛も許しも包容もない。

今日友達が久しぶりにメールをくれた。
彼女は結婚のセラピスト。 アメリカ人で、アメリカにはよくある職業。

結婚と家族のセラピスト。たいていが夫婦間のいざこざ問題。
彼女はいつもクライアントに言う。

あなたはあなたの正しさを認めさせたいの? それとも愛されたいの?

自分の失敗を受け入れる事、そこからは実は失う物はなにもない。
ただ真実と優しさと穏やかな愛がある。

そして人の失敗を受け入れる。
人間は誰でも失敗をするのだから。 

受け入れてもらった人は、心から体中から感謝と愛で満たされる。
そんな優しくて、穏やかな人とのかかわり合いを
していきたいな、と心から思う。

真実のみが自分を自由にするんだよ。
私の友達がよく言っていた言葉。

私が最近しでかした大きな失敗。
自分で受け止めて、受け入れて認めて、それを受け入れてもらった。

心から感謝しています。
ありがとうございました。






体からのメッセージ

2009年10月04日 | 呼吸統合セラピー
私たちは自分の体からいつもメッセージをもらっている。
毎日毎日。体から毎日便りが届けられる。大きいのと小さいの。

頭がキレる方はわかったかな~!?
うふふ。。。

体の状態がわかる。 匂いとか、色とか、形とか。
体の中がきれいな状態なのか、そうでないのか。

そしてほかの形でもいっぱいメッセージを送ってくる。
疲れや、痛み、だるさや、吹き出物、いろいろな形で。

そのメッセージは私たちが穏やかであればある程
受け取ることができる。

今朝は月に一度の座禅の日。
本当なら毎週通いたい座禅好きの私。

子供のころから通っていたお寺。
’命をかけてお座りください!’と引退した住職がいうのがおかしい。

今日はなんだか眠いし、座っていても体がだるい。
前も似たような感覚の日があった。

その日は前の日にお酒を飲んだときだった。
座禅では体の状態がそのまま出るんだな~と思った。

そして今日。疲れ気味ではあったけど
座る前はとりたてて不調なところはなかった。

お寺を出ながら眩しい太陽と光り輝く川と田んぼがきれいだなと思いながら
私の手は背中をさすっていた。

体からのメッセージ。腎臓が痛み出した。
きっと座禅で心静かになったから聞こえるメッセージ。

その時に一緒にいた方にその旨を伝えたら、
優しく’何か驚いたことや緊張したことはありましたか’と。

ふと振り返り、ここ数週間去年会った出来事で緊張を伴うことに
似たような感じを一瞬だが、感じて心身ともに緊張した。

体は本当に正直でありがたい。
そしてきちんとメッセージを送ってくれる。

東京に出る予定でこれから数日間忙しいスケジュールだったけど、
体の声を聞いて、今日はゆっくり休むことにした。

そしたら腎臓の痛みが消えた。体が喜んだんだな~。
忙しい方もそうでない方も、体からのメッセージを聞いてくださいね。


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呼吸セラピーステップ1では、痛みのあるところに両手をあてて
意識をそこに向けて、ゆっくり鼻から息を吸います。
その時に呼吸がその痛みだけに行くように意識をして息を吸ってください。
そして吐くときは、ゆっくりと口から静かに音を立てずにはきます。
はくときも手のある痛みの場所からはくようにイメージしてはきます。

呼吸、意識、手のぬくもりが全部そろった時に、その痛みはゆるやかに
なります。だまされたと思ってやってみてください。
ヒポクラテスは言っています。
自分で作った痛みは、自分でしか治せない、と。
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子供の目線 理想論と行動

2009年09月27日 | 日記
今日は朝もはよからゴミ拾い。

私が住む千葉県で月に一回アースデイマーケット千葉
という有機農家さんや自然食の加工食品屋、添加物や化学的なものは
全く使わない食材や生活雑貨などを扱っている仕事をしている
意識の高い楽しい人たちが出店する市が開催される。

ボランティアの私達が朝まずやることはゴミ拾い。

周りはデパートや商店街で昨日捨てられたであろうゴミが路上に残されている。
駅から集合場所まで歩きながら、ゴミに気がつかなかった。

私はゴミを見たら拾うようにしている。
今朝普通に歩いて行ったら気付かなかった道路で
実際に軍手をはめて腰を低くして、いざゴミを拾い始めると、
たばこの吸いがらがいっぱいある。
煙草の箱、煙草の箱をあけるときのビニール、
缶コーヒーの空き缶、などなどいっぱいあった。

子供の目線は低い。
あんなゴミが大きく見えるんだろうな。
子供が見る道路は綺麗にしてあげたいな、などと思いながらも
大勢で拾ったらあっという間にマーケットの会場となる場所がきれいになった。

皆が捨てないようになればいいのに、ってもちろん思う。
前に聞いた話でなるほど~、とうなずいたこと。

ある質問者が‘道端にゴミを捨てる人を腹立たしく思います。
そんな時はどうしたらいいんでしょうか?’

それに対しての答えは
‘高次レベルからみれば、あなたが落としたゴミだろうと
誰かが落としたゴミだろうと、ゴミはゴミです。
だれが拾っても綺麗になればいいのです。‘

その話を聞いてからはゴミを拾う時に気持ちよく拾えるようになった。
以前は拾いながらも、まったく。。。という気持ちがいっぱいあった。

ガムが道路にこびりついていて、落ち葉で削ぎとるように取りながら
まったく~、なんでガムをポイするかね~、と言いながらも
綺麗になった道路が、朝も早いのにみんなの力は凄いな、と嬉しかった。

言うだけは簡単。
理想論も行動に移さなければただの言葉の羅列。

そんなことを思いながら、気持ちよくボランティアしている
アースデイマーケットの関係者のみなさんは、
楽しくて優しくてカッコいい。

月に一回の気持ちのいい人たちの集まり。
農薬を使わずに野菜や果物を育てている、
今でこそ有名になってきた
‘オーガニック’を
無農薬農法なんて変人と言われながらも昔から徹底的に
身体に悪いものは使わないと化学肥料や農薬を拒否し、
美味しい生命力にあふれる野菜を作り続けてきた農家さんたちは
みんな生命力に溢れていて、果てしなくかっこいい。
ここに月一回集まってくる人たちはつくづく気持ちがいい人たちです。

そしてなんと言っても、野菜もお米もお酒もお弁当もパンもクッキーも
すべて今まで食べたものは星がいっぱい並ぶ美味しさ。

命があるものは本当に美味しいのだ。

アースデイマーケット千葉は千葉市中央区銀座通り商店街で
第4日曜日にやってます。ぜひぜひお越しください。


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呼吸統合セラピーの12の癒しのステップでは、
やりたいことを行動に移すのはステップ4.
理想論はこねくり回すが行動に出ないのがステップ3.
前に進んでいない自分に気づく。前に進もうとしていない自分に気づく。
ステップ4のエクササイズの後は、体中がエネルギーで満たされる。
ステップ3を超えた後は、前に進むパワーが自分の中にあるのに気づく。






やめる勇気、頑張らない勇気

2009年09月16日 | 提案

以前友達から素晴らしい話を聞いた。
数年前に聞いて以来、私も何人もの友達にその話を伝えてきた。

頑張らない勇気、やめる勇気。
ある若い登山家のインタビューをテレビで見た私の友達が感動した話。

あともう少しで頂上だ、という時にもし疲れていたら、
自分で大丈夫かな、とふと不安になった時の為に彼が必ず持って行くもの。

それは女性用の練り香水。
あともうちょっとで頂上。。。けど疲れてきた。、いう時に選択は2つある。

頑張って残りの力を振り絞って根性で登り続けるのか。きっと行ける。
それとも大事をとってまた明日登ろう、と今日は休むのか。

そういう迷った時に山の上で甘い香水の香りを嗅ぐ。
すると優しい女性が‘もう、休みなはれ’(勝手に言葉を想像しました)と
優しく、今日頑張ったね、ゆっくり明日登ればいいじゃない、
今日はゆっくり休んだら、、、というように言われているような気がして
頂上を目指すのをやめるという。

彼はそこでやめる勇気も必要だと言っていた。
疲れている身体にムチ打って、頑張ってももし万が一のことがあった場合、
それはそれでおしまい。

男性は特に、えいなにくそ根性で気合で行ってしまうこともできる。
なんだ、お前いくじがないな、ということもある。

けど自分の声に耳を澄ますことの大切さを、忘れてしまう。
鈍感になってしまうこともあるだろう。

私はもう何年も前に聞いたこの話を、よく思い出してはその時に無理に頑張るのをやめてきた。
私は非常に無理がきいて、昔から人から驚かれる至難の技を体力と根性でやってきた。

若い時はそれでいい。けれどそれでも疲れ知らずでやってきた自分が
実はとても疲れていた。

この登山家の話を聞いた時は、心から感銘を受けた。そうなんだ。
自分を大切に自分のペースでやった方がずっと上品で素敵だと思うようになった。

急ぐことはない。何のために? 誰のために?

私の父は自分の限界以上のことをやってきた人。
それを美徳としてきたと思う。そして身体は疲れ果てていた。
けど歳をとり今では身体がやめてくれ~という声を聞くようになった。
自分を大切にすることができると、本当に人をも大切にできる。

この登山家は誰なのかな、と思ったことはよくあった。
3日前にこのことを教えてくれた友達に先週野口健さんの講演が素晴らしかったよ、
と話したら、‘彼のことだよ、前言った練り香水の登山家は’と。

私は感動のあまりしばらく茫然とした。
なんだかここしばらく野口健モードの私である。

いつか会いたいな、同じ千葉県民!

今日から新しい日本が始まる。
自分を大切に、自分たちを大切に、大きな大きな家族として
助け合って、力を前に進むことに持っていけるように、争いからではなく
歩み寄り、高めあい、本来の日本人の素晴らしさを表現していける社会になって
いけばいいな。 

家族でもそう。 仲のいい家族は成功する。あらゆることに。
けど争い、いさかいの多い家族は、エネルギーが分散して前に進んで行けない。
誰がどうだ、なんだと無駄なエネルギーを消費しまくり。

今までの日本の政治は変わっていく時代。
楽しい家族を目指しませんか~?


コツコツ、コツコツ、コツコツと

2009年09月11日 | 感じること、いろいろ
先週の日曜日に千葉の幕張メッセでエコメッセが開催された。
そこでアルピニストの野口健さんの講演を聞くことができた。

野口さんはアルピニスト。1995年に2度の失敗を経てエベレストの登頂に成功。
7大陸最高峰世界最年少登頂記録を25歳という若さで樹立。

その後エベレストや富士山に散乱するゴミ問題に心を痛めて清掃登山を開始。
富士山から日本を変える、をスローガンに富士山を綺麗にした人でも有名。

大勢の人が彼の気持ちに共感し、共鳴しながら達成したこと。
彼の情熱が本物だから、本気な人たちが集まってきたのだろう。

野口さん曰く10年前は声をかけても一日数人しか集まらず、
気の遠くなるようなゴミ拾いをひたすら続けた。

2年目、3年目と少しづつ増え始めたが、ゴミの山は消える気配がなかった。
そしてコツコツとただひたすらゴミを拾い続け、10年たった今では
集まってくれる人達が多すぎて皆で山に入っていけないので、断る程になってきた。

コツコツが大嫌いだったけど、コツコツがこんなにも力となった。
コツコツ続けることで何でも偉大な力になると、照れながらおっしゃった。

その他にも彼の活動は凄い! 彼こそ有言実行の殿方だ!
照れながら話す野口さんの力強い生きざまに私は惚れ惚れした。

海外での幼年期、中学、高校生活。勉強にも身が入らず自他とも認める落ちこぼれで
先輩との喧嘩で停学処分、自宅謹慎処分に。

そこで格好いいのが野口さんのお父さん。旅に出ることを彼に勧めたらしい。
可愛い子には旅をさせろ。 格好いい。
その時に偶然本屋で見つけた植村直樹の本に感銘を受け登山を始めることに。

次々と最高峰の山々を制覇し、
7大陸最高峰登頂を公約に一芸一能入試で大学に入り、
山々をゴミを拾ってきれいにし、環境問題に取り組み、
第2次大戦時の日本兵の遺骨の収集活動もする。

私はただただ彼の公式ホームページを読みながら心が打たれ、
野口さんと、そして彼に共鳴した方々の為に玄米おにぎりを作って、
しこたま腹いっぱい食べてもらいたい、という気分だ。
ごぼうの唐揚げなどもつけたいな。

なんだか野口健さんの回し者みたいな文章になってしまったが、
私の感動に興味のある方は彼の公式サイトhttp://www.noguchi-ken.comを見てください。

エベレストのてっぺんの氷山が溶けてきている。
日本に住む私達にはピンとこない。
しかし、地球を身体にたとえたとして、てっぺんの頭の部分が熱を持ち始めている。
私達の頭に熱があるとき、他の身体の部位はどうなっているだろう。

そんな話を聞きながら、地球=人間と思った。
人間が元気だと地球も元気。
人間が健康だと地球も健康。
人間が地球を汚すと、我々自身を汚している。
我々が自分たちを大切にすれば、地球を大切にしている。
地球が喜ぶことは、自分たちが喜ぶこと。
つながっているんだ~。

コツコツ、はい、私も諦めないでコツコツやっていこう。
そう、継続は力なり。









亀とコウモリ、そして月

2009年09月05日 | 呼吸統合セラピー
ためしてガッテンでちょっと前に見た、ジョギングよりもいいというドタドタ走りを
毎日やろうと思いながら、なかなか毎日できずにいた。
体力が落ちてきたし、筋肉も落ちてきたし、余分なぽちゃぽちゃを落とすのにもってこい。

走ると気持ちがいいし、川沿いの自然が気持ちがいいし、100%いつもいい気分になる。
子供の頃の私はお風呂に入ってしまえば好きなのに、入るまでが長くて嫌がる子だった。

まるでこのどたどた走りも同じ。
川まで行ってしまえば、気持ちよく周りの緑と、
川の光と田舎の風景にただただ嬉しくなる。
走る距離もいつも延びるし、いいことだらけ。

なんて思いながら今日夕方秋を感じる風を感じながら気持ちよく走っていたら、
黒い丸い物体が道を横切っていた。
動いてるから動物らしい、あの大きさはねずみ? もぐら? 亀だった。

え~、かめさ~ん? という私の声に亀は怯えたのか(亀は聞こえるのかな)、震動に身構えたのか、
歩みを止めて私を見つめた(と思う)。 まさかこんな所に亀がいるなんて。。。

亀の歩みを邪魔したら行けないと思ったので、私も目だけ亀さんを追ってドタドタ走りすぎた。 
亀はどこへ行くのだろう。田んぼの方から出てきて、川の方へ進んでいった。

そしてうきうき浮かれながら引き締めたい腕や足をくねくね動かしながら怪しくも嬉しく走ってたら、
今度は鳥のような、けど鳥じゃない、なんとこうもりが飛んでいた。
この川はいつも来ているが、はじめてこうもりを見た。

新潟に子供の頃住んでいた時はおばあちゃんに、こうもりが飛んだら
帰ってきなさい、と言われていた。なんだかいい、そういう時間の計り方。
茜色の夕焼けとこうもりという眺めが私は大好きなのだ。

オーストラリアに住んでいた時も、夕方になると巨大なこうもりが飛びはじめ、
夜になる夕方が大好きだった。 だから今日こうもりを見た時は、本当に嬉しかった。
大袈裟だけどはしゃぎ走りをしながら嬉しくて笑いながら涙が出てきた
こんなことで泣くの~と思うと思うが、私の身体は面白く、
本当に嬉しい時は笑いと涙が一緒に出てくる。

ストレッチをしながら、いや~嬉しいな~と感無量でいた。
家路につきながら次の瞬間またまた私の心がドバ~っと開いた。

お月さまがとっても大きくて、黄色くて、おまけに笑っていた。
あんな月は見たことがない。うさぎの餅つきはいつも見てたけど
にこちゃんマークで、面白い笑い顔の月だった。
私の心を一瞬で開いたまぬけな笑い顔。

自分が本当に求めることをすると、必ずご褒美がもらえるという。
自然の中にいるとただただ幸せな私にとっては、素敵な演出の最高のご褒美だった。

医学の父ヒポクラテスは、人間は自然と共に生きることによって健康で幸せでいられる、
というようなことを言っている。

自分を大切にすること、自分にとって本当に好きなことをすることをして、
ご褒美をどしどしもらいましょう。

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癒しの12ステップでいえば、えい!って走りに行くのがステップ4.
そこでいろんな理由をつけていかないとステップ3.それが決して悪いわけではない。
けどずっとそこにいるということは自分を欺いていることに近い。
それに対してあ~、もううんざり、よし、行くぞ~とステップ4。 
今の私はステップ4にいる。行動。アクションの時期なんだ。
そしてステップ5は、避けていたことや恐れていたことが、実はなんてことなくて、
その真ん中にはパワーがあるということに気づく。 




呼吸統合セラピー

2009年09月02日 | 呼吸統合セラピー
さて、12ステップの呼吸統合セラピーは各ステップにテーマがある。
人は癒されていくにあたってある段階をたどっていくのだと
私の師であるドナルド・エプスタイン博士がカイロプラクターとして
長い間何千人もの患者さんを観察していてわかったことである。

患者さんの癒しは身体だけでなく、心や考え方だけでなく、
それに伴って人生も癒されていった。

その時にそれぞれ癒しの段階でそれぞれ共通した考え方、
感じ方、受け止め方(人生やストレスなどその時の状況)、
反応の仕方、言葉の遣い方、行動、姿勢、表情、
自分自身との関係などがあることに気づいた。 

その時に診察ベッドの上での呼吸の仕方や
身体の状態、癒しの段階のステップを博士は10年以上観察し続けた。

そして生まれたのが呼吸統合セラピー
Somato Respiratory Integration略してSRIである。


それぞれの癒しのステップにいる時に、それをサポートするボディーワークだ。
呼吸統合セラピーはすべて自分でできる。自分でしかできない。
私の役目は自分の内側に意識を向けるように手助けすることだけである。

呼吸と、自分の手と、集中した意識、それだけで自分の内に入っていける。

自分の力以上にパワフルなものはこの世にはないという。
以前書いたネルソンマンデラの演説のように。
そしてその感覚は8ステップ以上になるとよく皆さんが感じる。

今の日本はステップ4だ。
テーマは自分の力を取り戻す、本来の自分に戻る、
本来の自分らしさを取り戻す。

ステップ3は行詰った状態、
同じ所を何回も何回もぐるぐる回っている、
同じ失敗ばかりしている、またある状態にあきあき、などなど。。。
(前述したので読んでください)。

ステップ4はある種の怒りから始まる。もう我慢できないという。。。
それは外側への怒りではない。(外側への怒りはステップ2です!)

砂浜で自分の立っている前に横に線を引いて、ジャンプして線の向こう側に行く。
そして戻らない。
自分を欺いてきた自分に。 
本当の自分を生きていなかった自分に。
心と違う行動に出ていた自分に。 
自分を大切にしていなかった自分に。
本当の自分を表現せずにいた自分に。
自分の人生に参加していなかった自分に。

ちなみにステップ4が終わった後のみんなの表情は素晴らしい。
達成感と、内からあふれ出てくるエネルギーで美しい。




ハグのすすめ2

2009年09月01日 | 提案
よ~く見るとみんな絶対に触れ合うことを求めている。
じいちゃんやばあちゃんは孫を抱くのが大好きだし、手をつなぐのが大好き。
孫がいいって言ってても、抱っこしようとしたり、手をつなごうとしている。

自分の子供とも、おそらく夫婦間でさえ触れ合うことが少ないから
恥ずかしくもなくできる孫と堂々と、無意識の中で渇望している肌の触れ合いを
求めているように感じられる。

外国から食べ物も文化もいろんなものを取り入れてるんだから、
どうせならハグ文化も取り入れて、もっと素直に楽しくいくってどうでしょう。

落選した人でカッコいいなと心が動いたのは、
そのままの自分の生の感情を素直に出して自分の言葉で表現していた人。
負けた原因がなんだ、理屈をこねくり回し、挙句の果てに有権者のせいにしているのは、
理屈が正しい正しくない関係なく格好悪かった。

本物の時代と言われている。
本物しかどの世界においても生き残らないと言われている。
政治の世界でも同じ。
ネガティブキャンペーンが通じる時代ではないんですね。

どんな自分でも受け入れ受け止めてくれる、そういう人、場所があることが
人間の原動力になるとどこかで読んだことがある。

誰かに抱きしめられて安心した時のことを思い出すと
体中がいいエネルギーに包まれるという。

昔ならまさかの政権交代もかなったのだから、
ハグの習慣も10年後は日本に浸透していて、
みんなもっと自由にもっと楽しくもっと素直に
生き生き人と人の距離が近づいているかもしれない。

国民が幸せを感じているランキングで、日本は世界で41位だか46位だか
そこらへんらしい。 

新しい国会でハグキャンペーンで日本を幸せにしよう!
という政策をだしてくるでしょうか???


ハグ推進委員会、どなたか入りませんか~。

ハグのすすめ

2009年09月01日 | 提案
とうとうやってきました政権交代。

テレビを見ていて嬉しかったこと。
それは当選した人も、落選した人も、泣いてる人も、
喜んでいる人も、悲しんでいる人も、悔しがっている人も
抱き合ってその時の感情をお互いに受け止め合っていた。
見ていてとっても気持ちが良かったし、嬉しかった。

日本にはあまりない日常での抱き合うという習慣。
もっともっと日本でも老若男女がハグする習慣があれば
いいのにとずっと思っていた。

日本にはおじぎをする習慣がある。
海外では外人が日本人を形容するのに下手なお辞儀を真似する。
お辞儀をする習慣のない人がお辞儀をすると、下手くそで格好が悪い。

ハグも大人の日本人は下手くそ。
普段してないから、テレがあるから、遠慮があるから、恥ずかしいから。
テレビドラマでさえそういうシーンを見る。
身体に力が入ってて、ハグなんだけど抱き合ってない。
伝わってこない。格好が悪い。

けど、選挙での開票報道番組で見たハグは、格好よかった。
照れもなく、そのままの感情のまま喜びを、悲しみを分け合っていた。
当選した場合でも、落選した場合でも。本物は力がある。

子供はだっこが大好き。ハグも大好き。自分をそのまま表現する。
好きな人には抱きつき、寂しい時には抱いてもらって、安心する。

それは大人でも同じことなんだよな~。何も変わっていない。
みっともないとか、恥ずかしいとか色々思うことはあるのだろうけど
その時にその瞬間に喜びを分かち合い、悲しみも分かち合うことが
ものすごいパワーになる。
喜びは何倍にもなって、悲しみは減る。

外国での生活は、ハグは毎日あたりまえにするものだった。
普通に毎日同僚と友達と、挨拶がわりにキスやハグをしていた。
その頃の友達とは今でも日本でハグハグしている。

それはいやらしいものでもなんでもなく、お互いを大切に尊重しあうこと。
何かあった時も嬉しい時であれ、悲しい時であれ、抱き合って分かち合った。
そして、そのままを受け止める表現でもあるように思う。

人生の流れが再び日本で暮らし始めるように向いてきたときに、
ハグの習慣がないことに戸惑い、さみしかった。

日本ではそれがあたりまえだし、何がいいとか悪いとかではない。
しかし、ただハグするということだけで、毎日安心を与えられていたんだと
日本に帰ってきて、しばらくするまでわからなかった。

つづく。。。