源太郎のブログ

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「イギリス」

2011年09月08日 | インポート
ロンドンのハイドパークに面して建つ「豪壮」な建物の2階。「Map room」と書かれた部屋に、恐る恐る入る。「地図」好きの人間には、胸躍る、ドキドキする瞬間だ。部屋に入ると天井までぐるりと囲まれた書棚に古書が並びカビ臭い匂いが鼻をつく。古書の背表紙は黒々と変色してその古さを物語る。「宝」の山に入る、と言うのは、この事を言うのかもしれない。喜々として書棚の古書に手を伸ばそうとした瞬間、「何をやってるんだ!」と、鋭い声が背後から飛んだ。首をすくめて手を引っ込めると恐る恐る振り返る。背後で小柄な痩せたイギリス人が私を睨んでいた。「勝手に触るな」と言いたかったのだろう。ただ単に、係りとして、その部屋に居る、と言う以上に、その古色蒼然とした部屋に、住み着いているのではないかと思える程の雰囲気を、その男は漂わせていた。「Map room」で彼が管理している古書や地図の「価値」を知りつくしている者の自負がそこにはあった。突然入って来た得体の知れない「東洋人」が勝手に棚の書籍に手を伸ばす。彼にとって、それはあってはならない事なのだろう。「何を探しているのか?」と聞かれた。厳しいが「親切」と言うのがイギリス人の良い所だ。特に、「何を」探している訳ではなかった私は、どぎまぎしてしまった。「ここには何でもあるから言ってみろ」とたたみ掛けられた。「実は何も探している物は無いんです」とは言えず、切羽詰まった私は「無理難題」のつもりで、「では300年前の日本の地図を」と聞いてみた。その男が、踵を返して地下へ通じる階段に消えて待つ事数分、彼の手には明らかに「古い」今とは違う、いびつな形に描かれた日本の古地図が握られていた。「無理難題」を言ったつもりだったが、私の「負け」だった。「王立地理学協会」の「Map room」の実力を目の当たりにさせられた一瞬だった。その後、何枚かの地図を見せて貰い、コピーを取って貰った。彼は、地図を筒状に丸めるとコピーした地図を入れる為、「特別な筒を選んであげるから」とつぶやきながら何本かある筒の中から、選び始めた。「筒」良いも悪いも無いから、その時はそれ程関心を払わなかった。後日判った事だが、「筒」は一度、使われた物で、その筒には宛名と住所のシールが貼られていた。彼が、「特別」の、と言ったのは「宛名」が特別の、と言う意味だったのだ。筒の宛名には「Sir Vivian Fuchs FRS」の名前と共にロンドンの住所が書かれていた。調べて見たら「Vivian Fuchs」(1908-1999)は有名な探検家で1958年には南極のシャクルトン基地からスコット基地まで極点を経由して、3500㌔を99日間で人類史上初めての横断に成功している。所で、イギリス人の名前の前後に様々な記載がある事にお気づきだろうか。例えば、称号・爵位・勲章・タイトル等々だ。「Sir」は叙勲され「ナイト」の称号を持っている事を意味する。「FRS」は「Fellow of the Royal Society」の略で「王立協会」のフェローである事を意味する。「王立協会」は万有引力の発見者・ニュートンも会長を務めた事のある1660年創立の世界で最も古い「科学学会」でもある。因みに「王立地理学協会」は 「Dr. Rita Gardner CBE, Director」が実務的に率いている。彼女は「Dr.(Doctor)」だから「博士」であり、「CBE (Commander of the British Empire)」は「大英帝国勲章」に叙勲されていて、「Director」の役職にある、と言う訳だ。


 イギリスには日本では遠の昔に無くなってしまった国王を頂点とする貴族社会が今でも続いている。つまり、階級社会なのだ。「貴族」の最低限の条件は、お金の為に働かない、と言う事だそうだが中々、庶民には真似のできる事ではない。ロンドンには入る入口に依って同じビールでも値段が違うパブが今でもあるのだから「階級社会」とは無縁な我々にとって些か不思議な事に違いない。


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「ティー・レイディー」

2011年04月06日 | インポート
 ティー・カップに冷たいミルクを少々、まず入れて、それからポットの紅茶を注ぐ、と言うのが、英国流紅茶の入れ方。ミルクが先か、紅茶が先か、どっちでも同じじゃない、と思うのは我々だけ。ミルクが先、に英国人は大いなる拘りを持っている。どっちが「旨い」か、長い間の論争に決着をつけたのが「英国王立科学会」。2003年の共同通信の記事を引用すると、「カップに先にミルクを入れてから紅茶を注ぐのがおいしいミルクティーのコツ。紅茶文化の本場、英国の王立科学会は24日、「完ぺきな紅茶の入れ方」を発表した。あらかじめ温めた陶製のポットにティーバッグでないアッサム産の葉を入れ、ミネラル分の少ない軟水を沸かしたお湯を注いで3分間待つ。できた紅茶は陶製のカップに入れ、熱すぎると音を立ててすすることになるため、60度から65度の温度になるのを待って飲む。カップに注ぐのは紅茶が先かミルクが先かは紅茶好きの間で長年の論争となってきたが、熱い紅茶の中にミルクを注ぐとタンパク質が変質して風味を害しやすいことが化学分析で判明し、冷たいミルクをまずカップに入れてからお茶を注ぐのが好ましいと結論づけた。」

 もうすぐ、ティー・レイディーの来る頃かな~。毎日、午前と午後、「ティー・レイディー」と呼ばれる「おばさん」がワゴンに飲み物・食べ物色々載せて事務所内を回る。日本の新幹線のワゴン・サービスと同じスタイル。思い思いに注文し、仕事の手を止めて一時の憩いの時を過ごす。紅茶を頼めば、勿論ミルクが先。それ程高級な茶葉を使っているとは思えない紅茶が実に風味豊かで美味しい。その風味に匹敵する味を、日本では味わった事が残念ながら無い。ミルクの違い、紅茶の違い、水の違い、入れ方の違い、「空気」の違い、色々とないまぜになった「違い」のせいなのだろう。

 私が会社員として初めて勤めた会社、トーマス・クックの本社はロンドンのメイフェアー地区の一角、バークレイ・ストリート45番地にあった。旅行会社の元祖と言われる会社だ。トーマス・クック社はトーマス・クック氏によって今から170年程前創立された。「禁酒運動家」だった宣教師のトーマス・クックが「禁酒法」の成立を推進するデモに大勢の参加者を運ぶ為団体貸切列車を仕立てたのが世界最初の「団体旅行」の始まり、とされている。以来、今でも「旅行代理店」の老舗として営業を続けている。クック社を有名にしたのが「時刻表」の出版だ。今では、ヨーロッパの鉄道旅行社に欠かせない「時刻表」が初めて出版されたのが1873年と言うから、今から140年近く前の事になる。同社が理想の道連れ「ideal companion」とうたう大判折図の「ヨーロッパ鉄道地図「Thomas Cook Rail Map of Europe」もすでに16版を数える。いずれも日本のユーレイルパスユーザーには必須アイテムとして知られている。

 お昼のランチ。大抵は会社の近くのサンドイッチ・ショップで好みのサンドイッチを作ってもらって、近くのグリーン・パークで食べる、と言うのが日課。たまにはパブで食べる事もある。イギリス人はパブ派が多い。そんな時、勿論ビールは欠かせない。彼らにとってはお酒、というより「水」代わり、といった所だろうか。仕事中のお昼にビールとは、日本では考えられない事だ。

100人程の人が居た、私の所属するセクションではイギリスはもとより世界中から手紙で届く旅行にまつわる注文をこなすのが仕事。ネットなど無かった時代、「手紙」がその手段の一つだった。「ミルク」が先、ではないが「手紙」と言うのも、大いなる拘りの一つだった。レストランの予約でも電話は使わない。今はメールに変っても「書いたもので」やり取りする習慣に違いはないだろう。その手紙、ワープロの無かった時代、タイピストがその役割をこなす。手書きの原稿を書いて出しておくと、綺麗にタイプされた「手紙」が自分の所に戻って来る、と言う仕掛けだ。後はサインをして送るたけ。タイピストの居る部屋は「タイピングプール」と呼ばれ、常時十数人のタイピストが朝から晩までタイプをたたく音が響いていた。手書き原稿を作る時間の無い急ぎの時は、タイピストに向かって口述すると、その場でタイプを打ってくれる。今や、ワープロの時代、そんな風景は古き良き時代の「風物詩」だったに違いない。

 イギリスではクリスマスの翌日、12月26日はボクシング・デー(Boxing day)と呼ばれている。日本ではボクシングと言えば「拳闘」を思い浮かべるが、ボクシング・デーは違う。牛乳配達の人、新聞配達の人、郵便配達や配送する人、ティー・レイディーの人等、日頃お世話になっている人にプレゼントの箱(Box)を渡す日の事。日本にあってもいいな、と思う良い習慣の一つだ。

 もうそろそろ午後の3時、ティー・レイディーが回って来る時間だ。今日は、どんなお八つにしょうようかな~。



「シンプル・ライフ」

2011年03月31日 | インポート
 「それは君に能力がないからだよ!」。ガ~~ン。私がサラリーマン一年生だった頃、私が思わずつぶやいた「忙しい」の一言に先輩が噛みついた。それからは、「忙しい」は私にとって禁句になってしまった。が、実の所、ここ数年、「忙しい」日々が続いている。何しろ、私の仕事には終りが無い。一つ終われば、次、又次、と際限なく続く。余り間際にバタバタしたくないと、先、先、先と追いかける、もうこの辺で、となったら、今度は準備を掘り下げる。今度は、下へ下へ下へ、となる。だから、際限が無い。おまけに、私の仕事部屋は寝室も兼ねているから、真夜中、フッと目が覚めて眠れない時、起きだしてベッドの隣のデスクで仕事を始める、と言うような事もある。ここ数年、一瞬たりとも仕事をする時間が無かったのはたった1日だけ。

 それが、突然「時間」が降って来たのだ。「震災」以降、3月から4月にかけて日程をキャンセルした為、「ミニ失業」状態に陥ったのだ。「忙しさ」と「暇」のギャップ。戸惑ってしまった。そのギャップはブログの更新頻度に如実に表れている事でお気付きかもしれない。だがしかし、人には常々やりたいと思っていて出来ない事がある。私にも沢山ある。前から買いたかった自転車を買って、運動不足解消の為、遠出をする、長年、撮りためた、数万枚のアナログ写真のデジタル化等々、手を付け始める事が出来た。まだまだ、その他にもやりたい事はごまんとあるので、「暇」は嬉しい、と言えなくもない。

 今夏に予想される「計画停電」、皆、昨年の「猛暑」を覚えているから戦々恐々の態だ。あの、暑さを冷房なしで過す事を考えただけでも、もう駄目、と多くの人は感じるに違いない。今回の「計画停電」、本来、計画的に行おうとすれば、年単位の準備と広報が必要な出来ごとなのだが、今回は11日の金曜日に地震が起こって、土日を挟んで、月曜日から、突然始まった。電気を消される我々も突然で戸惑ったが、消す方も、大慌てだったに違いない。だから、準備不足は否めない。あちこちから、不平不満の声が渦巻く。責任の所在はともかく、突然の停電による大混乱回避の為に急ごしらえの「計画停電」も、やるしかなかったのだ。私個人で言えば、家の中にエアコンはないし、私が一日の大半を過ごす、仕事部屋兼寝室にはここ数年、暖房も無い。昨年は暖房のある居間に何度か逃げ込んだが、今年はとうとうそんな事も無かった。真夏、西日を受ける部屋の暑さは筆舌に尽くしがたい。おまけに、熱気は上階の私の部屋に、必然的に集まって来るのだ。荷物の配送を受け取る時、慌てて人前に出られるような姿になるには暫く時間が掛ってしまう。涼しい山との往復がなければ、生きてはいないかもしれない。もし、日長、ずっと自分の部屋にいなければならなかったとすれば・・・、う~~ん、考えるだけでも恐ろしい。

 「計画停電」、もとはと言えば、原発の事故で需要に供給が追い付かない状態になってしまった為。だから「節電」と言う訳だ。この夏に向けてどれだけ「節電」が出来て、「供給」の回復が見込めるのか、現時点では夏の「計画停電」は不可避、との予想が出ている。が、私はやや楽観的だ。ひやひやするものの、多分、それ程の大騒動にはならないだろう。世界中の国民の中で、日本人は、その気になれば、一定の「節電」など一致してやってしまう事が一番得意な国民だからだ。自ら改革する事が不得手な日本人は「停電」と言う、外圧をテコにして、今までの生活を見直す良い機会が来たとも言えるのではないだろうか。


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