源太郎のブログ

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「画狂老人卍」

2008年01月27日 | エッセイ

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 浮世絵画家・葛飾北斎の世界的名画「富嶽三十六景」の「神奈川沖波裏」は私の地元、神奈川の沖合を描いた傑作だ。遠くに見える富士、画面一杯に広がるデフォルメされた大波、その下を行く三隻の小船と人々。フランスの巨匠ゴッホをして、「北斎」をもっとも影響を受けた人の1人に挙げているのももっともな事とその絵は語っている。

 北斎は宝暦10年(1760年)に生まれ90歳まで生きたから、江戸時代の人としては「超」長寿であった。私見だが、長寿の秘訣はその類希な「向上心」にあったのではないか。北斎はの直前、大きく息をして「あと10年の寿命があれば」と言い、しばらくして「5年の寿命が保てれば本当の絵師になれるのに」との言葉を残して亡くなったと伝えられている。「富嶽三十六景」を完成させたのも72歳の時だったと言うから、生涯エネルギーに満ち溢れていたに違いない。北斎は自らを「画狂老人」と称し、生涯で3万点とも言われる作品を残していると言う。不思議と言ってはいけないが娘の「お栄」も絵の才能に恵まれ、後年は北斎の代筆も務めたと言うから、相当な腕であったのだろう。はたして「門前の小僧」なのか、「遺伝」なのか・・・。

 その北斎の展覧会に行ってみた。その物凄さにただただ素晴しいと感じるのみだ。サブタイトルの「ヨーロッパを魅了した江戸の絵師」と言うのに些かの誇張も感じられない。今回の特徴は40点のものぼる肉筆画のヨーロッパからの里帰りである。浮世絵と言えば版画だから大量の「肉筆」はやはり珍しいと言うべきだろう。

 鎖国の時代、唯一対外的に開かれていた窓は長崎の出島であった。その主は島原の乱を契機にポルトガル人からオランダ人に代わった。出島はさながら「大使館」としての機能を果たし、お互いの情報収集の拠点でもあった。出島の商館長は4年毎の参府(江戸城で将軍に拝謁する事)を義務付けられていた。現代の我々が旅行をすれば写真をとり、自らの記念とすると共に、家族友人に「かの地の様子」を見せる事は普通のことに違いない。しかしながら「写真機」の無いその時代、出来る事は「絵」を描くことであった。商館長は参府の折々、北斎を訪ね、写真があったら撮るであろう「被写体」を描く事をオランダの紙を渡して注文したと言う。だから、その絵は注文主の希望により描かれた肉筆画の一点ものであった。その注文主の1人にはシーボルトも居たと言う。ヨーロッパに持ち帰られたそれらの絵は、巡り巡って「オランダ国立民俗学博物館」や「フランス国立図書館」等に収蔵され今回の里帰りとなった。「画狂」とは良く言った物だ。その素晴しさに、ただただ恐れ入った。


伊豆・城ヶ島

2008年01月25日 | 山行記

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 「晴れ男ですね」、集合するなり、そう言われてしまった。年に150日も山を歩いていれば、晴れの日も、雨の日もそれなりにある。ちょっとこそばゆい気持ちになった。それにしても、前日の関東の「雪景色」から一転、快晴に。1月の下旬、伊豆の城ヶ崎を歩いた。

 JR伊東線の伊東駅に集合してバスに乗る。40分程で歩き始める蓮着寺に着く。鎌倉時代、立正安国論で幕府の怒りをかった日蓮上人は伊豆に流罪となり、寺の近くの「俎岩」と言われる海上の岩場に置き去りにされた。たまたま通りかかった漁師に救われたと言う逸話に基づき、後年建てられたのが蓮着寺。境内でトイレを済ませ歩き始める。すぐの見所は「石食いモチの木」、大きな石が、幾つも幹に食い込み、あたかも「石を食べてしまった様」、ここまで成長するのに何年掛かったのだろうか。トレイルを進むと木々の間から青い空、黒い断崖に砕け散る白い波が見え隠れする。暫くして前述の「俎岩」が見える所に。あんな所に置き去りにされてよくもまあ、と思う。目を転じれば大島が目の前、遠くには利島、それに新島だろうか。今日は天気が良いせいか随分沢山の島が見える。トレイルを歩くにつれて色々な名前が付けられた「岬」がある。この辺りは、もともと近くの大室山が約2600年前に噴火し、その溶岩で出来た場所である。江戸時代、ボラ漁の漁師達が名付けたのが「岬」の名前の起こり。当時は、海の上から見た海岸の景色の中を、今我々が歩いている、と言う訳だ。「だせんば」「にちょう」「おとじろう」「いがいが根」等。地元の観光協会に聞いても、その名前の由来は定かではない。なかには「ばったり」等と言う所もあるが、昔旅人が「ばったり」と倒れた事が由来と言う。本当だろうか? このルートにはそんな名前がついた場所が28ヶ所もあり、夫々に名前が書かれた木柱が立っている。結構、登ったり、下ったりがあるのだけれど、そんな「江戸時代」に付けられた名前の由来をあれこれ考えたり、樹間に見える景色を見ていると、疲れは感じさせない。周りの植物や樹木の種類も豊富で温暖な気候のせいか、普段登る山の植生とは違う事に驚かされた。「さいつな」と呼ばれる岬の近くに「柱状摂理」が見られる場所がある。海に押し出された溶岩が急に冷やされて出来る5角ないし6角の柱が重なり合って林立している場所である。亀甲紋状の石が波に現れている姿に自然の造詣の妙を感じる。コースの最後に「はしだて吊橋」が現れる。全長60m、高さ18mの海に掛かる吊り橋。吊橋を渡っている時に景色を見る余裕は無いかもしれないが、周りの景色は「絶品」、そんじょそこらにある代物じゃない。ここを過ぎると、程無くして八幡野の小さな港に出た。引き上げられた漁船の奥、水平線の先に大島が浮かんでいた。伊豆高原駅に向かう坂道を歩きながら、随分遠くに来た事を感じた。