昭文社の山と高原地図「尾瀬」は燧ケ岳を中心に広い範囲をカバーしている。燧ケ岳の南東に鬼怒沼山から黒岩山、赤安山を抜けて尾瀬沼に至るルートがある。登山口は大清水から物見山新道を取るか奥鬼怒温泉からのルートに限られる。共に、中高年にとって一日の行程としては長すぎるし、途中に営業している小屋は無いから、プランする事は難しい。唯一の可能性は鬼怒沼にある無人の巡視小屋を利用する事だが、そうなると、シラフ・マット・水・食料・その他を担ぐ羽目となる。それも、簡単な事ではない。何とか、実現可能なプランは作れないかと、地図と睨めっこしながら、数年が経ってしまった。<o:p></o:p>
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避難小屋泊りには重い諸道具一式を担ぐ、と言う発想を捨てたのが、実現するきっかけになった。シラフ・マットは必要だとしても、夕食・朝食を「煮炊き」する事を止め、「調理」不要の食べ物で凌ぐ事にした。水も途中の水場を利用する事にして、最低限を持つ事に。人数も小屋の広さを考えて4人の限定とした。<o:p></o:p>
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そして、この連休、2泊3日のプランを実行する時が来た。初日の集合は東武鬼怒川線の鬼怒川温泉駅。時間の関係で成るべく早く女夫淵から歩き始めたい、が丁度良い乗り物が無い。以前来た時に居た「白タク」のちょっと強面のおじさんは居るだろうか? と案じつつ電車を下りる。案の定、強面さんが近寄ってくる、が、条件が折り合わない。結局、40分も待ってバスに乗る。女夫淵に昼過ぎに着く。予定では日光沢温泉までの林道歩きが2時間、それから山道に入って鬼怒沼の小屋まで3時間。着くのが夕方の予定、だから一刻も早く歩き始めたい。女夫淵には何時も止まっている温泉宿のバスが数台。これに乗れれば、大分助かるのだが・・・。どうせダメだろうけど、ダメもとで一番先まで行くバスの運ちゃんに聞いてみる。が、やはり、けんもほろろに断られる。それを見ていた、Tさん、では私がと、別のバスに交渉、暫く話していたら、頭の上に両手で大きな丸。早く乗れ、と言っている。これで、林道歩きが大幅に短縮。しめしめ!結局20分程の歩きで山道の入口に立つ事が出来た。まずは幸先が良い。<o:p></o:p>
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問題は「小屋」に先客がいるか?、だ。何しろ、狭い、4~5人で一杯になる。それにしても、連休の初日、下山してくる人の多い事! 我々が小屋に泊まる事を知って、「小屋の前にザックが置いてありましたよ!」と親切?に教えてくれる人も。「え~!、何個でしたか?」「3個でした」、う~ん、それじゃ小屋はいっぱいだ~。一瞬、気分が落ち込む。そんなときの為に、簡易テントを二張り持っているとは言え、それは最悪の場合。やはり、戸外より、戸内が好ましい。お日柄も宜しいし、やっぱり、とおもいつつ、不安な気持ちで先に進む。そして4時過ぎ、ワタスゲの咲く鬼怒沼の湿原が目の前に現れる。もう誰も居ない。湿原を挟んで男体山と燧ケ岳が対峙している。15分程木道を歩き、いよいよ小屋に到着。恐る恐る鉄の扉をノック。が、反応は無い。扉を開ける。やった~、誰も居ない。そして、ささやかな「夕食」の後、我々は日没と共に眠りについた。夜、木道にこだまする鹿の足音だけが響いていた。<o:p></o:p>
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翌朝、4時過ぎに起きると金色に輝く満月が湿原の空に浮かんでいた。今日も天気が良さそうだ。5時過ぎ、歩き始める。地図に「ツキノワグマ出没注意」とあるエリア、早朝は特に注意が必要だ。普段はつけない、クマ除けの鈴を鳴らす。30分程で鬼怒沼山への分岐に着いた。以前は無かった山名の表示やマーキングが多い。分岐にザックを置いて頂上を往復する。ここまでは来る人が多い為か、踏み後もしっかりしているが、ここから先は格段に踏み後も細く、薄くなる。北東に向かうルートはシラビソの原生林の中を、幾つかのピークを左へ、右へと巻きながら進む。何と倒木の多い事か!その度に、乗り越し、下をくぐり、左右に迂回する。8時半頃、水場が現れる。「小松湿原」の表示もあった。湿原はそこからは離れているので見ることは出来ない。この辺りは、めったに人が来ないせいか、クマの活動も活発の様だ。ルートの脇には、何の為だろうか、根元が無残にも大きく皮を引き剥がされたばかりのシラビソがクマの爪痕も顕に立っていた。「俺の怖さを忘れるな!」とでも言いたいのだろうか? 9時過ぎ、黒岩山への分岐で一休みすると西に方向を変える。そこから2時間程の上り下りの後、赤安山の急な登りとなる。ルートは赤安山のピークをわずかに北側に巻いている。頂上直下にザックを置くとピークを往復。目立たないピークには笹薮の中に黒く小さな三角点が頭を覗かせていた。12時半頃、赤安山を下った鞍部に「赤安清水」の表示。水場はちょっと遠く、水の補給には向かないがテントを張るスペースはある。この後、袴腰山の北をトラバースする道は根曲竹や倒木に遮られ、上下する道は歩き難く、疲れや、強い日差しの為か、通過に小一時間も掛かってしまった。2時少し前、ルートはなだらかな下りの道に変わり125番鉄塔を過ぎると、中ノ俣沢への分岐を左に分け14時35分、小淵沢田代に着いた。誰も居ない、広くひっそりとした田代で、うっとりとしながら休みを取り、先を急ぐ。間も無く尾瀬沼への分岐を左へ入ると、最後の登りが待っていた。これが、最後の登りと言い聞かせながら登る。尾瀬沼への下りに入ると、段差のある急な道が続き最後まで楽にはさせてくれない。4時過ぎ、道が木道に変わる。左右に真新しいテントが続く尾瀬沼キャンプ場だ。大勢が夕食を囲んでいる一団から、「もう下山するんですか?」等とトンチンカンな声も掛かる。間も無く「満館」と書かれた今日の「宿」長蔵小屋が目の前に現れた。お疲れ様!<o:p></o:p>
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