万葉集に「しもつけぬ みかもの山の こならのす まくわしころは たかけかもたむ」(下野の三鴨の山に生えている小楢の木のように、かわいらしい娘は 一体、誰の妻になるのだろうか)と言う歌がある。 3月の下旬、のどかな春の一日、その三毳山(三鴨の山)を歩いた。最寄駅は群馬県と栃木県を東西に繋ぐ両毛線の「佐野駅」。朝、10時少し前、「佐野駅」に着くと、改札口の外に、「カタクリの里」を初めとする近隣の観光スポットを紹介するパンフレットがテーブルの上に並べられ、妙齢のご婦人が立っていた。無料のバスも「カタクリの里」まで出ていると言う。どおりでハイキング姿が目立つ。我々の今日の行程は、南の登山口にある「三毳神社」から縦走して北側の「カタクリの里」まで歩こう、と言う趣向だ。早速タクシーに分乗して15分程の所にある神社に向かう。「三毳神社」は星の神「天香香背男命」(アメノカカセオノミコト)を祀る古い神社だ。「毳」は「柔らかい毛」を意味する漢字らしい。なだらかで優しい姿の峰が三つ並んだ様を「三毳(みかも)」と称したのだろう。登山口での何時もの「儀式」を終えると歩き始めた。冷たい風がひんやり感じていたのも束の間、急な階段状の登りに汗ばむ。30分程の所にある日本武尊の足跡石と呼ばれる足型の石のある辺りでは、もう息が上がっている。相当な急登だ。奥宮までは登山口から小一時間、我々が到着した時はお昼のお弁当を食べる一団で溢れていた。我々も早速その仲間に加わる事にした。
腹ごしらえを済ますと北に向かう。15分程で今日最初の小さなピーク、中岳(210m)に着く。流石連休の最終日、人が溢れている。暫く行くと峠の車道に下りた。そこは、ちょっと変なネーミングだが「山頂広場」と呼ばれ、東屋やトイレ等がある。そこで用を済ませると先に進む。10分程で再び車道を渡るとすぐ山道の分岐に着く。ここはその昔
「三毳ノ関」があった、と言われている所だ。が、今はひっそりと石の祠が立つのみで何もない。「関」は7世紀の奈良時代、近江の国府(滋賀県大津)から陸奥の国府(青森)を結んだ「東山道」に設けられたと言う古の「関所」跡だ。そこから暫く進むと「花籠岩」の脇を通り、広い平坦な山道となって、正面の木々を通して青空をバックに「三毳山」のシルエットが浮かぶ。殊更急ぐ訳の無い行程、山道の脇に座って休憩を取る事にした。
低山とは言っても「三毳山」の登りに掛ると急登が続く。10分程だが、長く感じる。午後2時前、この日の目的の山「三毳山」229mに着いた。頂上からは雪を頂いた「男体山」を初めとする日光連山や赤城山等も見えている。どうやら「三毳山」とは山域の総称で頂上には「青竜ヶ岳」と229mの山とは思えない「豪壮」な名前が書いてあった。思わず「青竜ヶ岳」3229mに着きました!と言ってしまった程だ。
頂上を出て15分、尾根を東に分ける分岐に出た。指導標には東の方向に「カタクリ群生地」とある。皆、躊躇なく東の道を取る。そこから5分、「カタクリの群生地」に着いた。満開の「カタクリ」が一面に群生している。この「カタクリの群生」だけを目当てに多くの人がカメラを向けていた。「カタクリの群生」に加えて「イチゲ」の白も目立つ。管理人の人に聞いたら7~8月に下草を刈る位で肥料はもとより手入れなどせず、自然のままだと言う。5月下旬、実が弾けて2~30のタネが落ちる。生き残ったタネが翌年、針の様な新芽を出す。翌年はそれが小さな葉になる。毎年少しずつ成長して7~8年、ようやく花を咲かせるのだ。花の命は短い、が花をつけるまで、何と長い事か。
園地を抜け、そろそろ「気もそぞろ」になってきた頃、最後の「びっくり」が待っていた。「ミズバショウ」の群落が突然現れたのだ。思わず、大歓声が上がった。意外だったからだ。そして、春の息吹を堪能した余韻に浸りながら我々の一日は終りを告げたのだった。