源太郎のブログ

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ほいと

2010年01月22日 | エッセイ

 アメリカ人の上司と千葉の成田から東京まで歩こう、と言う事になった。仕事が終わった金曜日の夕方、事務所を出て歩き始めた。今から考えれば随分と無謀な試みだった。成田から東京駅まででも約70㌔。案の定、真夜中に私の足が水ぶくれになって敢無く途中で諦めた。仕方なく、自宅に帰るべくタクシーに乗って東京駅に向かった。駅に着いたのが夜中の3時半過ぎ、まだ駅のシャッターが降りていて入れない。朝まで待とうと、シャッターの前の何人かのホームレスに交じって横になった。駅で一晩を過ごす、という経験はあったが、ホームレスと一緒と言うのは、その時が初めてだった。

先日、イギリスのウィリアム王子がロンドンの中心部の路上で一夜を明かした、と言う記事を読んだ。まさか、私のひそみに習った訳ではないと思うが、流石、と感じた。記事は「英王子がホームレス体験!氷点下のロンドンで一夜」と題し、「チャールズ英皇太子の長男で王位継承順位2位のウィリアム王子(27)は先週、ホームレス問題への社会的関心を集めるため、ロンドン中心部の路上で一夜を過ごした。ホームレスの人々を支援する非政府組織(NGO)「センターポイント」(本部ロンドン)が22日、明らかにした。王子が路上で寝たのは15日夜。氷点下4度まで冷え込む中、大きなごみ箱の陰に段ボールを敷き、寝袋にくるまった。王子を路上体験に誘った同NGOのトップ、オバキン氏と王子の個人秘書も一緒だった。同氏は「麻薬の密売人が話し掛けてきたり、誰かにけられたり、清掃車にひかれそうになったり。路上生活がいかに危ないものか分かってもらえた」と話した。夜明けごろには、帰る家のない人々が横たわるロンドン市街地を視察したという。センターポイントは約40年間、ホームレスの人々を支援する活動をしており、王子は同NGOの後援者となっている。」と続いた。 「すまじきは宮仕え」とは言うが、多少王子様の「個人秘書」に同情の感は否めないが、「英王室」の「凄さ」を改めて思った。

 大分昔の事だが、ニューヨークのキャフェテリアで食事を終って、さあ席を立とうとした、その時、1人の男が近づいて来て、「食事は終ったのか?」と聞く、私が“Yes”と言うや否や男は私の食べ残しののった皿を持って立ち去った。大袈裟に言えば、所有権を放棄された私の食べ残しを貰って「何が悪いのか」と言う事なのだろう。「合理的」と言えば「合理的」だが、日本では余り目にしない光景だろう。ロンドンの地下鉄に乗っていると、前の座席に座った人から良く「タバコを1本売ってくれ」と言われたりする。そんな時、1本差し上げるが、勿論お金など貰わない。「売ってくれ」と言う方も、お金を請求する人等殆どいない事を見越しての振る舞いなのだろう。形を変えた「物乞い」だとも言える。

 私もロンドンで「乞食」をした事がある。友達がギターを弾き、私は地べたに座って空き缶を前に、ひたすら「喜拾」を待つ。最初に選んだ場所は地下鉄の出入り口。何人かの人がコインを入れてくれる。暫くしたら、地下鉄の職員に追い払われた。「どこか、他でやってくれ」と言うのだ。場所を移して、公園に向かう地下道で続行。暫くすると、今度は「お仲間」が来て、「ここは俺たちの縄張り」だから、他へ行けと睨まれ、すごすごと「新米」は引き揚げざるを得なかった。

 「乞食(こつじき)」とは仏教の用語で、僧が自分の身体を維持する為に人に乞う、「業(ぎょう)」の一つでもある。「行乞(ぎょうこつ)」とも「托鉢」とも言う。自ら生業(なりわい)を立てない事に意味があるのだ。その事が転じて「乞食(こじき)」と言う言葉が生まれ、「物貰い」「ほいと」「物乞い」「おこも」等と言う表現がある。「乞食に貧乏無し」とか「売りの皮は大名にむかせよ、柿の皮は乞食にむかせよ」等、「乞食」を題材にした格言は多い。

 ホームレスは居ても、今時の日本、「物乞い」をされる事は殆ど無い。そんな事をしなくても、何とか生きて行ける「術(すべ)」が有ると言う事なのだろうか。

 これも、大分以前の事だが、韓国・ソウルの中心地の裏通り。突然、鋭い目付きの少年が現れて、左手を差し出す。「物乞い」だと瞬間思ったが違っていた。少年の右手には「カミソリ」が握られていた。立派な「強盗」だったのだ。慌てて、ポケットから硬貨を何枚か取りだすと、少年の手のひらに載せ、一目散に逃げ出した事は言うまでもない。


七福神

2010年01月07日 | インポート

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 お正月、まず行くのは初詣。初詣に行く人は、なぜか全員「善男善女」。その、「善男善女」と一緒に谷中の七福神を巡った。集合は山手線の「田端駅」に朝の10時。9時過ぎに着くと、もう沢山の「善男善女」が駅に溢れていた。「ブルッ」とする位北風が強い。そう言えば、家を出てすぐ、どでかい富士山が目の前にドーンと座っているのが見えた。普段より大分大きい。空気が澄んで、見通しが良いのだ。

 江戸の初期、「七福神」巡り、と言えば谷中だった。今は東京中に「七福神」は事欠かないが、谷中はその元祖なのだ。「七福神」とは福禄寿、恵比寿、布袋尊、毘沙門天、寿老人、大黒天、弁財天と決まっている。夫々、御利益が違う。人望、正直、大量、威光、長寿、富財、愛啓に「効く」。大黒天、毘沙門天、弁財天はインド伝来、福禄寿、寿老人、布袋尊は中国、唯一日本生まれは恵比寿様だけだ。一神教の世界では考えられない事なのだろうが、何事にも融通無碍な日本人らしい現象とも言える。何事も「御利益」が第一で、下手な鉄砲も、数打ちゃ当たる、式なのかも知れない。

 みんな集合してまずは最初の「巡礼地」に向かう。歩き始めて15分程で田端の東覚寺に着く。ここは福禄寿だ。江戸初期からの古刹のはずだがなぜか、全てが真新しい。風呂だったら「檜の香り」だ。「谷中七福神御朱印和紙」を1000円で売っている。寺々を巡って「御朱印」を貰う台紙だ。境内が「善男善女」でごった返している。200円を払って台紙に御朱印を貰う。次は西日暮里の青雲寺の恵比寿様。御朱印を貰う所に列が出来ている。こりゃ心配だ、お昼の「料亭」の予約に間に合うか?3番目は同じく西日暮里の修性院の布袋尊。「神様」が違うだけで、どこも同じ風景。皆、早く御利益に預かりたいと、次から次だ。寒かった朝方に比べ、陽が昇ると小春日和で絶好の「巡礼」日和になった。4番目は谷中の長安寺。長寿の御利益のある寿老人。それにしても谷中には寺が多い。寺の多さは地図を見ればすぐ判る。卍マークで溢れている。谷中には元々寺が多かった上に、江戸時代の明暦の大火の後、沢山の寺が谷中に引っ越して来たことにもよる。私が数えた訳ではないが、一説には70余りとも言われている。5番目は日暮里駅のすぐ南側にある天王寺の毘沙門天。谷中霊園の奥にある。ここは七か所の寺院の中では一番立派な所。御朱印を賜る所はホテルのロビーの様だ。ここを出たのがもう11時半過ぎ。「料亭」に急がなくちゃ。6番目を後回しにして向かう。本当は「七福神」より、こっちの方がメインかも、とは「花より団子」と言っている様で、言い憚られた。12時2分前、到着。建物の前で記念撮影して、中へ。明治時代に建てられた建物は関東大震災と空襲を潜り抜けた都内では珍しい、木造3階建て。有形文化財に指定されている。早速案内されたのは建物の中にある「土蔵」の中。入口の重厚な扉が、蔵だと教えてくれる。それにしても建物の中に「蔵」とは不思議だ。多分、増改築で、建物の中に取り込まれてしまったのだろう。ビールと旨いもの食べて蔵を後にすると、時計はもう2時近くだった。やはり、今日はこれがメインだったのだ。すぐスキップした6番目の大黒天のある護国寺に向かう。寺は芸大のすぐ隣にあった。勿論、御朱印を貰うと、最後は不忍池弁天堂の弁財天だ。その名の通り、不忍池の中にある。愛敬(あいぎょう・あいきょう)に効く。これで「満願」だが、帰り道、今日はもう一つ行く所がある。「下町風俗史料館」が池のコーナーに建っている。所謂「レトロ」な品々が溢れた場所。小一時間の見学の後、歩いて上野駅に向かう。そろそろ、日蔭が寒くなった頃駅に着いた。そして、目出度く解散。「御利益のパスポート」をゲットした「善男善女」は安堵の表情を浮かべ満足している様に、私には見えた。

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