源太郎のブログ

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「船窪小屋」

2012年08月24日 | エッセイ
  寿子さんが船窪小屋の経営を引き継いだのは18歳の時だったと言う。小屋を建てた翌年、父親が雪崩で亡くなって突然の引き継ぎだった。戦後の登山ブームの始まった昭和30年の事。ブームが始まったとは言え18歳の若い女性にとって「山小屋」の経営は楽な事ではなかっただろう。営業的に小屋の立地はお世辞にも良いとは言えない。最短の七倉尾根を登っても標高差1400m、6時間の急登。北からは針の木の雪渓を登り蓮華岳から「蓮華の大下り」を下るルート、西からは殆ど歩く人の無かった針の木谷を辿るルート、そして南からは不動岳、船窪岳を辿る難路。どれをとっても一筋縄では行かない道だ。だから、寿子さんが「うちの山小屋は不利な立地でしょう。労多くして利なし」と嘆いたと言うのも頷ける。しかし、その事が逆に幸いし寿子さんを「身の丈に合った営み」に導いた。ハンディを意識し克服する努力が小屋の今に繋がっているのだ。だから、小屋は今でも定員50人の北アルプスでは一二を争う小さな小屋でもあり、最初から「女性」の視点で営まれた小屋だとも言えるのだ。


 立山や槍・穂高を一望できる七倉岳(2509m)の尾根筋に建つ小屋は、長年の創意工夫の甲斐あって今では多くの「船窪小屋」ファンがいる。利益に直接つながらない登山道の整備や手の込んだ料理に力を注ぐ事に「自分が手伝わなければと言う気になる」と言うファンもいると聞く。だから、宿泊客が多いと常連客が手伝う事も多いとか。そんな常連客は小屋に滞在する事目的に山を登って来ると言う。


 小屋の「売り」は何と言っても、今では「山の上のお母さん」と呼ばれる寿子さんが60年近く工夫を重ねた品数の多い手の込んだ料理だろう。食材も山で採れる山菜を瓶詰にして保存したり中華等多種に渡る。普通の山小屋の食事に慣れた登山者にとって、それは新鮮な驚きに違いない。そんな手間暇掛った料理でも「昔から日本の主婦がやっていた事。不便さは感じない」と言うのだから、長い間ずっと続けられたのだろう。


 「数」を求めるより「いかにもてなすか」に努力した結果、立派に「小屋」のブランドを確立した「小屋の方針」はユニークだ。私も嫌いな、どの小屋にもある「発電機」の騒音は此の小屋には無い。今でも昔ながらのランプが二つ、囲炉裏の上に灯る。多くの小屋で男女共用のトイレは多い。此の小屋は明確。女性は小屋の中、男性は外。これ程、はっきり分かれている小屋も珍しいだろう。私が一番びっくりして感心したのがトイレットペーパーだ。普通はロール状のトイレットペーパーだが、ここは20cm四方の和紙が束ねて杉の箱に入れられている。それもただの和紙ではない。「皺紙(しぼがみ)」と言われる縮緬のようにしぼ(皺)が入った和紙だ。これが実に「お尻」に優しく使い心地が良いのだ。小屋の「配慮」はこの「紙」に象徴されていると言っても過言ではないだろう。普通の小屋では「分別」する使用済みの紙もここでは違う。「自然に返る」紙を使っているからだと寿子さんから聞かされた。


 登山者が小屋に着くと鐘が鳴らされる。そして発つときもまた。その鐘の音は苦労して登った登山者をねぎらい、発つ者を勇気づける。「カーン」、澄んだ鐘の音は今日もまた鳴っている、のかな?




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「八ヶ岳」

2012年08月09日 | 写真
写真①

前回の小屋は一泊二食で5000円。今回は9000円。
八ヶ岳のオーレン小屋。すきやき天ぷらお風呂付。

写真②

小屋で来年のアルバイトを募集していた。ネパールに
行けるかも! でも(?)が気になる。

写真③

左から硫黄岳・頭を少し出した赤岳・阿弥陀岳・根石岳


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「山小屋」

2012年08月04日 | エッセイ
 鳳凰三山の薬師岳から観音岳を過ぎて地蔵岳へ向かう分岐が赤抜沢ノ頭。ここまでは多くの登山者で賑う。ここから先は急にひっそりとして正面に見える甲斐駒ヶ岳が歩くに従ってどんどん大きくなって迫ってくる。最初の峠、白鳳峠を越えると次は広河原峠。その先に続くのが早川尾根だ。その尾根の途中に地味な山小屋がある。早川尾根小屋だ。山小屋は常々「独立王国」だと私は思っている。小屋の決めた「法律」が支配する「独立国」と言っても良いかもしれない。「法律」と言って大袈裟なら「ルール」だろう。そのルールが見事なほどに小屋毎に違うのだ。それは、靴やザックの置き方、朝夕食の時間、トイレの作法、寝具の取り扱い、食器の片付け方、消灯時間等々事細かに決められている。我々は色々な小屋を泊り歩くから、その違いを意識するが、小屋の方は、他の小屋のあり様は余り気にならないのではないか。だから山小屋一軒一軒が「独立王国」だと思うのだ。


 広河原峠から一登りでピークを越えると、この辺りでは珍しいなだらかで快適な樹林の道が標高2400mの小屋まで続いている。定員は30人と言うから、小ぶりの質素な小屋だ。到着を告げるとノートに住所・氏名・電話・翌日の行き先を書く様求められた。二行で!ときっぱりとした口調。これも、此の小屋のルールなのだろう。小屋代は一泊二食付で5千円。安い!小屋が汚いとか、古いだとか、狭いだとか、そんな事より、5千円で何が出てくるのか、一抹の不安を覚えた。夕食・朝食共、4時半だと告げられた。お~、早い。でも「法律」には従うしかない。そして、すぐにサービスされたのが「冷たい麦茶」。どうしたらここで、そんなに冷たく出来るの?と思う位、冷えて美味しい麦茶。9時間も炎天下歩いてきた身にはこの上ないおもてなしだった。


 入口の些か建てつけの悪い引き戸をガラリと引いてなかに入ると、すぐ土間を隔てて左右に寝床が広がる、昔ながらのシンプルな構造。土間に靴を脱いで、寝場所を確保すれば、あとはもうする事が無い。


 夕食の時間になると、と言っても夏の太陽はまだまだ高い時間、小屋の人がテーブルをセット。本日のお仲間は私を含めて一人旅の4人と4人組のグループが一つ、全部で8人。小屋の人が今晩は「親子丼」なんですが、大盛が良いか普通で良いか、聞いて回る。へ~「親子丼」なんだ~。珍しい。「山小屋」で親子丼の夕食、と言うのは初めて。でも、旨ければ良い。そして、告げられる。「お箸は夕食・朝食兼用です」。はは~、これが此の小屋の「法律」だ。これも珍しい。でも、合理的。そして、「親子丼」とみそ汁が運ばれた。「親」が殆ど見当たらず、「子」ばかり、おやおや、と言う感じ。でも、空きっ腹にはどうでも良い。味もまずまずで完食。後はお箸を箸袋に戻して仕舞うだけ。食後、単身4人組みで「山談義」が始まる。主役は南アルプスの一人旅9泊目、と言いう40歳の学校の先生。畑薙ダムから光岳、聖岳、赤石岳、荒川岳、塩見岳、仙丈ヶ岳、甲斐駒ケ岳と縦走して、10日目の明日、地蔵岳から御座石鉱泉に下る、と言うスケジュール。どひゃ~。凄い!


 翌朝、起床は3時50分、寒くまだ暗い。寝具を片づけてテーブルをセットすると、そこは「ダイニングルーム」に変身。今朝は、何が出てくるのか? じゃ~ん、「おでん」だ。意外な展開。大きなどんぶりに一通りのおでんの具がたっぷりおつゆの中に沈んでいる。ご飯とおでん。これもシンプル。食べて見ると以外に美味しい。おつゆの味も良い。「親子丼」の夕食と「おでん」の朝食、山小屋のメニューとしては実に斬新だ。


 今回の旅、ずっと前から歩きたかったルート。韮崎から行く甘利山から千頭星山を経由して苺平、南御室小屋に泊って鳳凰三山を巡り早川尾根からアサヨ峰、栗沢山を経て北沢峠までと言う行程。3日間の行動時間は、景色を見ながらのゆっくり歩きで24時間5分の久し振りに山の醍醐味を味わう事の出来た山旅だった。


写真① 初代の「早川尾根小屋」
写真② 一泊二食で五千円
写真③ 注意書き
写真④ 夕食
写真⑤ 9泊10日の先生
写真⑥ 朝食
写真⑦ 甲斐駒ケ岳と八ヶ岳連峰全景


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