「それは君に能力がないからだよ!」。ガ~~ン。私がサラリーマン一年生だった頃、私が思わずつぶやいた「忙しい」の一言に先輩が噛みついた。それからは、「忙しい」は私にとって禁句になってしまった。が、実の所、ここ数年、「忙しい」日々が続いている。何しろ、私の仕事には終りが無い。一つ終われば、次、又次、と際限なく続く。余り間際にバタバタしたくないと、先、先、先と追いかける、もうこの辺で、となったら、今度は準備を掘り下げる。今度は、下へ下へ下へ、となる。だから、際限が無い。おまけに、私の仕事部屋は寝室も兼ねているから、真夜中、フッと目が覚めて眠れない時、起きだしてベッドの隣のデスクで仕事を始める、と言うような事もある。ここ数年、一瞬たりとも仕事をする時間が無かったのはたった1日だけ。
それが、突然「時間」が降って来たのだ。「震災」以降、3月から4月にかけて日程をキャンセルした為、「ミニ失業」状態に陥ったのだ。「忙しさ」と「暇」のギャップ。戸惑ってしまった。そのギャップはブログの更新頻度に如実に表れている事でお気付きかもしれない。だがしかし、人には常々やりたいと思っていて出来ない事がある。私にも沢山ある。前から買いたかった自転車を買って、運動不足解消の為、遠出をする、長年、撮りためた、数万枚のアナログ写真のデジタル化等々、手を付け始める事が出来た。まだまだ、その他にもやりたい事はごまんとあるので、「暇」は嬉しい、と言えなくもない。
今夏に予想される「計画停電」、皆、昨年の「猛暑」を覚えているから戦々恐々の態だ。あの、暑さを冷房なしで過す事を考えただけでも、もう駄目、と多くの人は感じるに違いない。今回の「計画停電」、本来、計画的に行おうとすれば、年単位の準備と広報が必要な出来ごとなのだが、今回は11日の金曜日に地震が起こって、土日を挟んで、月曜日から、突然始まった。電気を消される我々も突然で戸惑ったが、消す方も、大慌てだったに違いない。だから、準備不足は否めない。あちこちから、不平不満の声が渦巻く。責任の所在はともかく、突然の停電による大混乱回避の為に急ごしらえの「計画停電」も、やるしかなかったのだ。私個人で言えば、家の中にエアコンはないし、私が一日の大半を過ごす、仕事部屋兼寝室にはここ数年、暖房も無い。昨年は暖房のある居間に何度か逃げ込んだが、今年はとうとうそんな事も無かった。真夏、西日を受ける部屋の暑さは筆舌に尽くしがたい。おまけに、熱気は上階の私の部屋に、必然的に集まって来るのだ。荷物の配送を受け取る時、慌てて人前に出られるような姿になるには暫く時間が掛ってしまう。涼しい山との往復がなければ、生きてはいないかもしれない。もし、日長、ずっと自分の部屋にいなければならなかったとすれば・・・、う~~ん、考えるだけでも恐ろしい。
「計画停電」、もとはと言えば、原発の事故で需要に供給が追い付かない状態になってしまった為。だから「節電」と言う訳だ。この夏に向けてどれだけ「節電」が出来て、「供給」の回復が見込めるのか、現時点では夏の「計画停電」は不可避、との予想が出ている。が、私はやや楽観的だ。ひやひやするものの、多分、それ程の大騒動にはならないだろう。世界中の国民の中で、日本人は、その気になれば、一定の「節電」など一致してやってしまう事が一番得意な国民だからだ。自ら改革する事が不得手な日本人は「停電」と言う、外圧をテコにして、今までの生活を見直す良い機会が来たとも言えるのではないだろうか。
それが、突然「時間」が降って来たのだ。「震災」以降、3月から4月にかけて日程をキャンセルした為、「ミニ失業」状態に陥ったのだ。「忙しさ」と「暇」のギャップ。戸惑ってしまった。そのギャップはブログの更新頻度に如実に表れている事でお気付きかもしれない。だがしかし、人には常々やりたいと思っていて出来ない事がある。私にも沢山ある。前から買いたかった自転車を買って、運動不足解消の為、遠出をする、長年、撮りためた、数万枚のアナログ写真のデジタル化等々、手を付け始める事が出来た。まだまだ、その他にもやりたい事はごまんとあるので、「暇」は嬉しい、と言えなくもない。
今夏に予想される「計画停電」、皆、昨年の「猛暑」を覚えているから戦々恐々の態だ。あの、暑さを冷房なしで過す事を考えただけでも、もう駄目、と多くの人は感じるに違いない。今回の「計画停電」、本来、計画的に行おうとすれば、年単位の準備と広報が必要な出来ごとなのだが、今回は11日の金曜日に地震が起こって、土日を挟んで、月曜日から、突然始まった。電気を消される我々も突然で戸惑ったが、消す方も、大慌てだったに違いない。だから、準備不足は否めない。あちこちから、不平不満の声が渦巻く。責任の所在はともかく、突然の停電による大混乱回避の為に急ごしらえの「計画停電」も、やるしかなかったのだ。私個人で言えば、家の中にエアコンはないし、私が一日の大半を過ごす、仕事部屋兼寝室にはここ数年、暖房も無い。昨年は暖房のある居間に何度か逃げ込んだが、今年はとうとうそんな事も無かった。真夏、西日を受ける部屋の暑さは筆舌に尽くしがたい。おまけに、熱気は上階の私の部屋に、必然的に集まって来るのだ。荷物の配送を受け取る時、慌てて人前に出られるような姿になるには暫く時間が掛ってしまう。涼しい山との往復がなければ、生きてはいないかもしれない。もし、日長、ずっと自分の部屋にいなければならなかったとすれば・・・、う~~ん、考えるだけでも恐ろしい。
「計画停電」、もとはと言えば、原発の事故で需要に供給が追い付かない状態になってしまった為。だから「節電」と言う訳だ。この夏に向けてどれだけ「節電」が出来て、「供給」の回復が見込めるのか、現時点では夏の「計画停電」は不可避、との予想が出ている。が、私はやや楽観的だ。ひやひやするものの、多分、それ程の大騒動にはならないだろう。世界中の国民の中で、日本人は、その気になれば、一定の「節電」など一致してやってしまう事が一番得意な国民だからだ。自ら改革する事が不得手な日本人は「停電」と言う、外圧をテコにして、今までの生活を見直す良い機会が来たとも言えるのではないだろうか。