久し振りに「青空」を見た。樹林帯を抜け、稜線を見上げると久々の、本物の「青空」が白い秋雲の先に広がっていた。山の上は、もう初秋の雰囲気が漂い、紅葉も薄っすらと始まっていた。空気も澄み、風が吹くと寒さが身にしみた。ザレた急登の後、九合目からは、なだらかな道が頂上まで続く。古びた鉄剣のそそり立つ頂上の北側の木々は、この時期珍しい「霧氷」に覆われ、白く輝いていた。この日は、子供の頃、地元の実家で長い間この山を見ながら暮らしていたと言うTさんが、念願だった初登頂を果たした日でもあった。
男体山は標高2484mの信仰の山。日光二荒山神社の奥宮がその頂上にある。男体山を父親に例えれば、さしずめ女峰山は奥さん、太郎山が長男で愛子(まなご)の大真名子・小真名子が控え、一家をなしている。
この山の初登頂は日光開山の祖、勝道上人だと伝えられている。天応2年(782年)、釈迦が雪山で修業したとの故事に習い、あえて残雪期に登り、3度目にして初めて頂に立つことが出来たと言う。勿論、道はなく、木々をかき分け、残雪を踏み、途中2泊の野営を重ね、その過程は、困難を極めた末の登頂だったと言う。
その山に、首都圏から日帰りで行けないか、と勝道上人が聞いたら怒られそうな事を考えた。中禅寺湖のある南側から登ると標高差は1200m、コースタイムだけで約6時間、実際は8時間以上は掛る。電車のスケジュールや駅から登山口を往復する時間を考えたら、日帰りはとても無理、と判る。色々と思案して、新幹線の利用できる宇都宮からレンタカーで北側の登山口、標高差700mの志津乗越に直行すれば可能との結論になった。
そして、前日の蒸し暑さから、打って変って肌寒いその日、10人乗りの車は8時過ぎには宇都宮駅を出た。10時ちょっと前、志津乗越で現地集合の3人の「紳士」が合流。10時20分には、何時もの登山口での「儀式」を済ませて、出発。
歩き始めて10分、避難小屋を過ぎて間もなく「一合目」と書いた木柱が立っている。それからしばらく続いた、ややなだらかな傾斜も、三合目を過ぎると急登に変わる。所々、山道がえぐれ、大きな段差も。背後には太郎山や女峰山の雄姿も見え隠れしている。そして、六合目を過ぎると赤茶け、ガレた地肌を剥き出した大きく浸食された所に出た。ここからは初めて東側の広々とした景色が見え歓声があがる。そこから上は火山灰のざらざらとした道が続き、所々にトラロープも。そして、歩き始めて3時間20分、頂上に立つことが出来た。そして、下山。そろそろ日も暮れかかる頃、峠に戻ると、満員だった車は、数台の車を残し、ひっそりとしていた。