食べ物に好き嫌いはつきもの。だが、寿司が嫌い、と言う人にはお目に掛かった事がない。私も「酸っぱい物」は苦手だが、お寿司は好き。「すし」は寿司・鮨・鮓・酸し・寿し・寿斗・壽司などと色々に書かれ食物としての歴史は古い。
寿司は「保存食」が原点であり日本では元々関西が主流の食べ物であった。「棒寿司・押し寿司・箱寿司」等である。江戸前と言う言葉があるが「江戸前」とは江戸の前、つまり江戸湾内で獲れた魚介類を意味する。が、それは後々の事で元々は江戸城の前のほんの限られた河川を含む海域で獲れた「鰻」を意味したそうだ。つまり、江戸前とは「うなぎ」の事であったのだ。関東に住む現代人の我々にとって今では「江戸前」と聞けばお寿司の事を思い浮かべる人も多いだろう。関西に対し江戸風の寿司は「握り寿司」と呼ばれ江戸の郷土料理とも言える存在であった。
寿司は「保存食」が原点だから、当時の寿司は今の、所謂「握り寿司」とは大分趣を異にしていた。冷蔵庫の無かった時代、保存食には「腐敗防止」が一番に求められる。「酢」を使う、と言う事に加え、殺菌作用のあると言われる「笹の葉」で包む、と言う方法をとった。
江戸時代には「江戸三鮨」と呼ばれた鮓屋があった。1824年創業の「与兵衛寿司」、1830年創業の「松がすし」、1702年創業の「毛抜鮓」である。一番創業が古い「毛抜鮓」とはちょっと変わった屋号だが「毛抜」とは毛や骨を抜く道具「毛抜き」の事で、「寿司だね」の魚から丁重に小骨を抜き取っていた事から屋号にしたとも言われている。
先日、その「毛抜鮓」に行った。創業が1702年と言えば元禄15年だから赤穂浪士が討ち入りをした年だ。今から300年も前の事になる。その店が今でも神田で店を開いている。「毛抜鮓」の寿司は江戸で始まった「江戸前寿司」の原点を色濃く残し「押し寿司」や「なれ鮨」の名残も色濃く残している。保存食とする為「飯」を強めの酢でしめ、「寿司だね」も塩漬けで1日、酸味の強い一番酢で一日、そして酸味の比較的弱い2番酢で3日から4日漬けると言う方法がとられ製造には手間が掛った。この方法は今でも引き継がれ行われていると言うから驚きだ。
広い通りに面したお店に入ると13代目の奥さんと言う品の良い女性が迎えてくれた。勿論お店で食べる事も出来るが殆どの人は「お持ち帰り」の様だ。メニューは至ってシンプル、2種類しかない。笹に包まれた「お寿司」の数が違うだけの事だ。味も極めて古風な感じ。最近はやりの言葉で表現すれば素朴で「骨太」、噛締めれば噛締めるほど味わいが深いと言った所だろうか。何しろ、広い東京でも、この店以上に古いお寿司屋さんは無い、と断言できるのだから「凄い」ではないか。こんな店には何時までも続けて欲しいものだ。