先週、ちょっと変わったコース取りで山を歩いた。蝶ヶ岳の北東にある登山口、三股から蝶ヶ岳、蝶ヶ岳ヒュッテに泊って、翌日、大滝山から徳本峠小屋、そして三日目に峠から島々に下る、と言うルート。二日目の後半はずっと雨に降られてしまった。行きあったのは、たった女性一人。長いルート、下るのも大変だが、ここを登るのも大変。その女性とはちょっとした挨拶しか交わさなかった。が、峠に降りると、小屋の人が「誰にも会わなかったでしょう?」と言われて、「いや、1人だけ会いましたよ」と言うと、思い出したように「SMさんだ」と言う。とっさに名前が出てくるから、その辺ではちょっとは名の知れた人だったのだろう。
毎回、山で出会う人に驚かされる。夕食前、「徳本峠小屋」の、その日の自分の寝場所に居たら、5時過ぎ、「驚愕」の御夫婦が島々からあがって来た。普段、人の事は余り根掘り葉掘り聞かない私が、思わず、色々、聞いてしまった。大阪に住むと言うそのご夫婦、夜中の12時に自宅を車で出発、約400㌔をドライブ、多分、登山口の辺りで2~3時間仮眠、9時に島々を出たと言う。そして、8時間後、小屋に着いた。5時過ぎは小屋に着く時間としては、ちょっと遅い。でも、あの難路を歩いたのだから、凄い、と勿論言える。翌日からのコース取りはこうだ。昭文社のエリアマップ、「槍ヶ岳・穂高岳」をお持ちの方は、是非地図をトレースして頂きたい。二日目、徳本小屋から大滝山を経由して蝶ヶ岳、常念岳、大天井岳、西岳、槍ヶ岳、奥穂高岳、西穂岳、焼岳を巡る7泊8日。奥さん曰く、別個には夫々の行程は歩いた事があるが、通しで歩くのは初めて、だと言う。お会いしたのは9月6日だったから、今日現在(10日現在)、まだどこか、山の中にいるに違いない。これは凄いコース取りだが、私が「驚愕」したのは、それよりもご夫婦の年齢だった。失礼ながら、奥さんにお歳を聞いたら、「74歳」と答えが返って来た。ご主人のお歳は聞きもらしたが、同年齢ぐらいなのだろう。翌朝、別れ際にご主人のザックを持たせて貰ったら、ずっしりと重く、20㌔はあった、と感じた。予定通りに行くのかどうかは別として、世の中には凄い人がいるものだと、つくづく感じたものだ。
私は、3日目は島々へ下る。前日、ご夫婦の登って来た道を逆に下る形だ。基本的に「沢道」だから、「沢道の宿命」で、遡行する場合には、なだらかな登りの後、急登と言う展開だが、下りではその逆になる。ご夫婦がこの急登を登って来たのか、と思いつつ、沢に出るまで下った。その後は、沢伝いにひたすら歩く事になる。山中10㌔、林道歩き6㌔で全部で16㌔の道のりだ。「沢道の宿命」はもう一つある。枝沢が本流に流れ込む所が至所で崩壊している。加えて、新旧取り混ぜて、枝沢・本流を渡る橋や桟道がざっと50はあるだろうか。中には、渡るのを躊躇する橋が幾つかあった。この道は、その昔、安曇野から上高地に入るメインルートであった。かの、ウエストンや嘉門次の歩いた道だ。約7時間後、普段は通り過ぎるだけであった島々の集落に辿りつく事が出来た。
初日の登山口に置いた自分の車の所まで、バス・電車・タクシーを乗り継いで戻った。豊科の駅から乗ったタクシーが三股に向かう途中、林道に猿の群れが戯れていた。そんな光景を運転手さんと話していると、林道のカーブを曲がった先、20m位の所に、木々の緑の中に、大きく「黒」が目立った。「熊」だとすぐ判った。あちらも、近付く車がすぐに判ったのだろう、慌てる素振りもなく木々の間に悠々と消えて行った。あの、「ご夫婦」は今頃、どの辺りを歩いているのだろうか。
毎回、山で出会う人に驚かされる。夕食前、「徳本峠小屋」の、その日の自分の寝場所に居たら、5時過ぎ、「驚愕」の御夫婦が島々からあがって来た。普段、人の事は余り根掘り葉掘り聞かない私が、思わず、色々、聞いてしまった。大阪に住むと言うそのご夫婦、夜中の12時に自宅を車で出発、約400㌔をドライブ、多分、登山口の辺りで2~3時間仮眠、9時に島々を出たと言う。そして、8時間後、小屋に着いた。5時過ぎは小屋に着く時間としては、ちょっと遅い。でも、あの難路を歩いたのだから、凄い、と勿論言える。翌日からのコース取りはこうだ。昭文社のエリアマップ、「槍ヶ岳・穂高岳」をお持ちの方は、是非地図をトレースして頂きたい。二日目、徳本小屋から大滝山を経由して蝶ヶ岳、常念岳、大天井岳、西岳、槍ヶ岳、奥穂高岳、西穂岳、焼岳を巡る7泊8日。奥さん曰く、別個には夫々の行程は歩いた事があるが、通しで歩くのは初めて、だと言う。お会いしたのは9月6日だったから、今日現在(10日現在)、まだどこか、山の中にいるに違いない。これは凄いコース取りだが、私が「驚愕」したのは、それよりもご夫婦の年齢だった。失礼ながら、奥さんにお歳を聞いたら、「74歳」と答えが返って来た。ご主人のお歳は聞きもらしたが、同年齢ぐらいなのだろう。翌朝、別れ際にご主人のザックを持たせて貰ったら、ずっしりと重く、20㌔はあった、と感じた。予定通りに行くのかどうかは別として、世の中には凄い人がいるものだと、つくづく感じたものだ。
私は、3日目は島々へ下る。前日、ご夫婦の登って来た道を逆に下る形だ。基本的に「沢道」だから、「沢道の宿命」で、遡行する場合には、なだらかな登りの後、急登と言う展開だが、下りではその逆になる。ご夫婦がこの急登を登って来たのか、と思いつつ、沢に出るまで下った。その後は、沢伝いにひたすら歩く事になる。山中10㌔、林道歩き6㌔で全部で16㌔の道のりだ。「沢道の宿命」はもう一つある。枝沢が本流に流れ込む所が至所で崩壊している。加えて、新旧取り混ぜて、枝沢・本流を渡る橋や桟道がざっと50はあるだろうか。中には、渡るのを躊躇する橋が幾つかあった。この道は、その昔、安曇野から上高地に入るメインルートであった。かの、ウエストンや嘉門次の歩いた道だ。約7時間後、普段は通り過ぎるだけであった島々の集落に辿りつく事が出来た。
初日の登山口に置いた自分の車の所まで、バス・電車・タクシーを乗り継いで戻った。豊科の駅から乗ったタクシーが三股に向かう途中、林道に猿の群れが戯れていた。そんな光景を運転手さんと話していると、林道のカーブを曲がった先、20m位の所に、木々の緑の中に、大きく「黒」が目立った。「熊」だとすぐ判った。あちらも、近付く車がすぐに判ったのだろう、慌てる素振りもなく木々の間に悠々と消えて行った。あの、「ご夫婦」は今頃、どの辺りを歩いているのだろうか。
午後4時3分、烏帽子小屋にほうほうの態で入る。受付で、お兄さんに、私がその日歩いたルートの事故の事例を訪ねたら、「毎年1人位は死んでますね。先月も1人死んだから、今年はもう大丈夫でしょう」と淡々としていた。ブラック・ユーモアのつもりなのだろうか?帰って来てからこのルートの事をネットで調べたら「北アルプス随一のど根性コース」とか「北アルプスを歩き尽した人が最後に来る所」等の記述があった。事前に読んでいたら「遠慮」していたかも知れない。コースの特徴から言えば、ほぼ全てが「崩壊地」と言っても良い様相だ。数か所で既存の山道が失われ、迂回路が作られていた。まだ歩ける、既存の道の中にも、時間の問題で使用不能になるような場所が散見された。ルートの維持管理にこれ程、手間暇掛る所も希だろう。もしかしたら、将来、通行不能になる事態も予想される。「ど根性」のある方、「北アルプスを歩き尽した方」にはお勧め(笑)だが、そうでない方にはお勧めできない。このコース、コースタイムは烏帽子岳の往復を含めて7時間15分。私は5時半に船窪小屋を出て10時間33分掛った。標準的な時間で言えば、やや遅い、と言った所だろうか。後半はややバテて、休みが多くなり時間が余計に掛った。尤も、私の場合は常に「取材」を兼ねているので、ハシゴの途中で写真を撮ったり、要所でメモを取るので、時間は、少し余計に掛るかも知れない。今回は、普段あまり公開しない「行動記録」を載せたので興味のある方は御覧頂きたい。
「from_funakubo_to_eboshi.pdf」をダウンロード
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