この夏、まだ登っていなかった百名山の一つ、岩手山に登った。岩手山の登路は数多い。噴火の可能性から東側からのルートに限られていたのも、5年前には全面解禁になった。私が登ったのは一番距離が短い「馬返し」からだ。「一番距離が短い」とは言ってもコースタイムで約7時間半、だから関東から日帰り、と言う訳には行かない。
早朝、東京駅から新幹線に乗る。盛岡に着いたのは東京駅を出てから約3時間。ローカル線に乗換える間に早めの昼食を済ませる。盛岡から登山口の「馬返し」の最寄駅、滝沢まではIGR岩手銀河鉄道が走っている。リストラによってJRから別れた第3セクターが盛岡と青森の三戸までの82㌔を走っている。ものの15分程で滝沢に着くと、予約しておいたタクシーが待っていた。「お客さん、今日はどちらから?」「横浜です」「ハァー」、ヘー、そんな遠くから、と言う感じで話が始まった。近くに大学が二つもある事や、小岩井農場・温泉の話をしてくれた。登山口まで、ほんの15分位。大きな駐車場には車が一杯だ。ナンバープレートで日本中から来ている事が判る。駐車場に車が多いのは「百名山」の特徴かも知れない。高速道路、千円で益々多くなったのかも知れない。
明るい日差しの中、登山口を歩き始めたのは正午少し前。素敵な森の中を進む。暫く行くと、一人、また一人と下山の先陣が下りてくる。途中、「改め所」と言う所を通過した。この山の長い歴史を物語る古風な名前だが、昔はそこに神官がいて、登山の可否を改めた場所と言う。30分程で「0.5合目」の指導標が現れて新道と旧道の分岐となっていた。新道をとる。それにしても「0.5合目」とは随分と細かい。七合目まで新道と旧道はほぼ並行していて、各所に連絡道が設けられている。そこから40分程で「2.5合目」が現れY字分岐になっていた。はて、どちらを行こうか?と考えていたら、上から人が降りてきた。「旧道と新道、どちらが良いんでしょうか?」聞いてみた。「そりゃ新道だよ、殆どの人が行くからね」。それで、新道を行く事にした。所々溶岩流のちょっとした岩場を除いて、大粒の火山灰の土の上を歩く。火山の特徴でぬかるみは無いが、パチンコ玉に様な火山灰の粒に、時折足をとられる。登りながら時折振り返ると去年登った「姫神山」のやや尖った姿が終始見え隠れしていた。
平年より5度も気温が低いと言うその日も私はユニフォーム(白のTシャツ)で歩いた。上から来る人が一様に「寒い、寒い」と言いながら下りてくる。幾分か風も強そうだ。登山口を出て3時間余り、新旧の道が交わる七合目に着いた。確かに、ガスも出て来て、風も強い。一休みして、先を急ぐ。10分もすると、今日の「宿」八合目の避難小屋が現れる。4時間程と見積もった予定が、大分早く3時間ちょっとで着いてしまった。時間はあるが、今日は早朝からの行動だから、この辺で予定通り止めておこう。今日は小屋番の人も居ないと聞いていたが、誰か先客は居るだろうか?辺りはガスに覆われ、相変わらず風が吹きすさんでいた。
木の引き戸をガラリと中に入ると意外にも、少なからず人の居る気配がする。薄暗闇に目が慣れて来ると、人が居た。それも一人二人ではない。居ないはずの小屋番の人も居た。それでも、小屋の広さに比べたらガラガラと言って良いほどだった。這う様に奥に進み、居心地の良さそうな角っこに場所を占める。空気マット、シラフ、シラフカバーをセットしてもぐり込む。夜、眠りに着くまで、一人、長い時間を何すること無く過ごさなければならなかった。夜中、寝返りを打つ度に目覚め、ずっと吹き止まぬビュービューと言う風と雨音に気持ちは落ち着かなかった。
朝5時過ぎ、窓から入る光が少し明るくなって、起きる事にした。身支度を整えると、大き目のりんごを一つほうばった。雨具を着て小屋の外に出る。幸い雨は止んでいるものの、小屋を包むガスと強風は変わらない。小屋番のおじさんも出て来て、無言で頂上の方を指さす。「行くのか?」と聞いているのだ。私も無言でうなずく。
小屋から20分程で頂上へ向かう分岐のある不動平に着く。ガスに包まれた誰も居ない分岐には指導標だけがひっそりと立っていた。ここからはお鉢のふちまでガラガラの登りが続く。上るに従い風はますます強さを増す。15分ほどでお鉢のふちに着き最後の頂上への登りとなる。頂上までは私を導くように多くの石仏が登山道の脇に立っていた。横風が強く、時折体が振られる。ガスに包まれ、猛烈な風の吹くふちを高みに向かって一人歩く。20分程歩くと頂上と思しき所が霧の中に浮かんだ。7時過ぎ、2038mの岩手山の山頂に立った。