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これは、嘉永2年(1849年)4月18日に北斎が没した
時に、北斎の娘、お栄が、北斎の弟子、北岑(ほくしん)
に宛てた葬儀の知らせです。亡くなったのは、当時住んでいた
浅草寺の近く、北東に位置し、現存する「遍照院」でした。
因みに、暁七ツは寅の刻、午前4時頃です。
浮世絵師・北岑(1824-1876)は東海道中膝栗毛を書いた
十辺舎一九の門人であった、五辺舎半九の三男。12歳の
時に北斎の門人となった人。北岑の住んでいた「深川下之橋」
は大川(隅田川)の左岸、深川佐賀町の辺り、今の江東区佐賀
一丁目~二丁目の辺りです。