西天竜幹線水路 旧小沢川階段落差工(令和6年12月16日撮影)
西天竜幹線水路の最下流を歩いていて、発電所の上、いわゆる段丘の頭に立って小沢川を眺めていた。すると脇の木々の中に旧階段工の姿が見えたわけである。長い間西天竜を歩いているが、旧階段工はもう少し東側、ようは現在の発電所へ流下する管に近いところにあったのだろうと思っていた。旧階段工が壊されずに残っているとは認識していたが、埋まっているのだろうと思っていた次第。ところがもっと西側にその階段工が姿を見せていた。あらためて旧階段工を意識して探したことも無かったので、これまで認識していなかったわけだが、意外にその昔の姿そのままに残っていて、ちょっとした感動ものだった。1枚目、2枚目の写真は、その際に撮ったもの。これを見て思うのは、すでに100年近く経つのだろうコンクリート構造物が、ぼろぼろにならず、そのまま残っていることだ。おそらく当時のコンクリートの品質は現代のものより落ちるであろうと想像するのに、見た感じはそう見えないのである。もちろん階段工は当時のままり姿ではなく、半分以上水路内は埋まっている。したがって上部しか見えておらず、全体がそれほど綺麗に残っているかは不明である。
さて、段丘を降りて下側の階段工を確認してみようと思ったわけだが、段丘を下るとその尻に市道が走っている。その段丘崖側に1軒通りの家が立ち並んでいるのだが、階段工の直下も宅地となっている。しかしその宅地に接するように階段工の末端の壁が残っていて、ちょっとその姿に違和感を覚える。なぜ宅地にする際に階段工を撤去しなかったのか、と。でも考えてみると、階段工の落差が宅地の擁壁代わりになったため、あえて壊さなかったとも見える。その写真が下の3枚目の写真である。そこには橋が架かっていて、この橋は完成当時は無かったもののよう。中段にも橋が架かっていて、その橋は当初からあったものと思われ、それは西天竜耕地整理組合が昭和5年に発行した『事業の概要』に掲載されている下記4枚目の写真でもわかる。その現在の橋の様子を撮ったものが5枚目である。そして6枚目はその橋の下から小沢川の谷の中を望んだもの。下に見える瓦屋根が階段工の下にある宅地である。さらにその向こうに道が見えるが、おそらくこの道が旧水路敷である。グーグルマップでもわかるように、階段工からまっすぐに道が繋がっている。この階段工を水が流れていたわけだが、その当時は見事なものだっただろう。西天竜発電所ができてこの階段工は使われなくなった。
段丘崖に残る旧階段工末流施設
昭和5年西天竜耕地整理組合発行『事業の概要』より引用
上の写真の中段に見える橋の現在
旧階段工から小沢川を望む(見えている高架橋は中央自動車道小沢川橋梁)
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