Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

又貸しするおじさん

2020-11-23 23:32:10 | ひとから学ぶ

 会社のある建物に清掃業務など管理をされている会社の方々がいて、その中の一人のおじさんが、最近よくわが社の執務室を訪れる。とりわけふだん親しく(?)している社員のところを訪れるわけだが、ここ何度か、わが社の社員やOBの訃報をお悔み欄で見たといって教えてくれた。社員はともかくとしてOBの訃報は、社員は誰も認識していなかったのに「おたくの会社の人亡くなっているよ」と教えられてあらためて新聞のお悔み欄を確認したほど。おじさん、最近お悔み欄に興味があるらしく、例えば家族葬が多くなったとか、事後報告が多い、等々具体的に調べているよう。そうした一貫でわが社の名前を見つけると報告してくれる。わが社の誰も知らなかったことを教えられて、みんなびっくり、というわけである。

 おじさんはお堅いところで働かれていたようだが、退職されて今は清掃会社に雇われているようだ。お堅いところで働いていたせいか、わたしたち庶民にはちょっと想像できないような行動をされて、建物の中ではちょっと違和感をもっている人たちもいるよう。話しかけられるのは「ちょっと」と思っている人たちもいて、わが社の中にもそう捉えている人もいる。とはいえそんなことはお構いなしで、独自色を出されている。わたしも「こんなモノが捨ててあった」と話しかけられたことが何度か。多様な人たちがいる建物の中で、わが社をどう思っているのか、比較的出入りの多い会社のひとつのようだ。その証に、時おり親しく(?)している複数の人たちのところに公立図書館で借りた本を持ってきては「これ読んでみな」みたいに置いていく。「それ、又貸しだろ」と会社内で話題になるが、「まずいんじゃないの」と当人に諭したことはまだないようで、本を手にやってくる姿が見慣れてきた。それも1冊2冊ではなく数冊まとめて持ってくる。そして本の間に「○月○日まで」と切れ端が挟んである。もちろん図書館で入れたものてはなく、おじさんの手書きメモなのである。その日が近づくと「本はまだかな?」みたいに顔を出したり、時には電話がかかってきて貸した相手の「○○さんはいる?」みたいな話に・・・。お堅いところで働いていた割には、又貸しが頻繁で、それほど親しい人へ「良からず」と思うこころがうかがわれる。そもそも相手を信用して又貸ししているわたけがら、おじさんにとっては親友感覚かもしれない。自分が良いと思ったことを友人にも共感してもらおうと思っているわけだ。借りた人は、「親しいわけではない」と思っていても、なかなか断れない。もちろん会社内でも「断ったほうがいいよ」という会話度々。

 おじさん「悪い人」ではないのだが、「良からず」と思ってやる行動に引く人も多い。が、仕事をしながら立ち止まってはメモをとったり、几帳面なところがにじみ出ていたり、きっとあまた持ち込む本のタイトルを見ると、なかなかの勉強家のよう。問題意識をたくさん持ち合わせているようだが、やはり、世間には違和感を持たれる。そんな姿をみるにつけ、もしかしたらつまらないことに問題意識を抱く「わたし」の退職後の姿は、あのおじさんと同じかもしれない、などと思い描いてしまう。


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