「坂戸橋周辺の記憶」より
坂戸橋の脇を通る国道153は、橋の交差点から北に向かって急な坂となる。国道153号は塩尻から名古屋まで続くかつては名塩国道と言われた長い国道であるが、そのルート上でも代表的な旧坂だろう。JR飯田線が駒ヶ根市福岡と飯島町田切を連絡するために迂回をし、そして飯島町内の与田切川を渡るために迂回するように、飯島町あたりは伊那谷という広い谷の中において、地形変化点ともいえる。その変化点は中央アルプスの裾野から広がる天竜川礫層がなだらかな台地を形成した末端に急な段丘崖を形成して、いっきに天竜川の底まで落ちていく。そのなだらかな台地にも幾重かの段丘を形成していて、その段丘崖をつなぐように主要な交通ルートが敷かれている。ところが谷が深くなる飯島町あたりでは、自ずと線路も道路も迂回を余儀なくされていく。そんな迂回を過ぎると、こんどは断崖である坂戸峡へルートは選択される。この地をなぜ国道が通されたのかという理由に、坂戸橋を渡って大草に続く道があったことに起因するのかもしれない。古い時代からの集落が段丘崖に続き、普通ならこの断崖には入らずに中段の段丘を選択したのだろうが、あえて坂戸橋という天竜川の東西を結ぶ要所へつなぎたかったのではないだろうか。前回も触れたように、小和田のど真ん中でまだ完成をみない道が止まっていたように、戦後からしばらくの間、国道153号は現在の道筋ではなく、現在の主要地方道飯島飯田線、通称上街道と言われる道をあてていたときがあった。現在の国道が開設されるまではこのあたりと飯田を結ぶラインは固定されたものがなかったともいえる。もちろん車社会になる以前にはそれほど広い道が必要とされなかったわけだから、まだまだ途上の道路行政だったということなのだろう。『中川村誌』には「坂戸の難工事」という項目がある。坂戸橋近辺の国道工事は昭和34年に始まったものの、2年間で200メートルしか進まない難工事だったという。同書によれば「天竜川沿いは比較的平坦で屈曲も少なく、気候も温暖であることから、この天竜川沿いに南下するという国道路線の大変換が計画された」と記載されているが、この記述をそのまま受け入れるわけにはいかない。確かに上街道と言われるルートは飯島町の与田切川から七久保に登る日影坂という難所がある。しかし、坂戸橋から小平に上る坂も前述したように難所であることに変わりはないし、日陰道ともいえる。また狢坂と言われる坂が中川村南田島から松川町上片桐鶴部との境にある。ここもまた急坂であり日影道。天竜川沿いのルートを選定したことで、むしろ坂と日影道という条件を選択したとわたしは感じる。現在の国道を走ればそれは容易に解る。日影坂という問題箇所さえパスすれば、飯田まではさほど難所がないのが上街道なのである。
そんなわたしの想像で振り返ってみたが、昨日の写真、とくに橋下から見上げた桁の様子を見ると、現代の橋と言われてもまったく疑わないほどに見事な橋である。もちろん補修されて維持管理がよくされているからこそ美しさを保っているのだろう。80年を経ている橋にはなかなか見えないわけで、それにしても当時幅5.5メートルの橋を架けたということがどれほどこの橋に意味があったかということをうかがわせるわけだ。大草から渡った地は断崖のような地であるが、そこから天竜川西岸へつなぎたいという意志が見て取れるのだ。当時「東洋一」と言われたように、このあたりに同格の橋はまったくなかった。いや、それ以後もしばらくは天竜川の東西を結ぶこれほどの橋は登場しなかった。いまだに天竜川東岸へ渡る重要な位置にある橋であることに違いはないのである。
長野県伊那建設事務所が平成20年3月に作成した資料には、昭和6年の県内務部土木課の作成した設計計算書が添付されている。その計算書を開いてみると、維新後まだ半世紀余を経た時代にすでに今とさほど変わらない設計計算がされていたことに驚かされる。ちなみに橋長は77.86メートル径間70.0メートル、有効幅員5.5メートルである。昭和7年3月11日に起工し、同年11月11日には竣工している。前後の取り付け道路にもお金がかかったと言われるから、現在同じような橋を造ったとしてもこの期間で造るのは難しいかもしれない。「いずれ当地の名所にするようにと、取り付け道路につづし3000本、桜300本を植えた」と言われ、それらが確かに坂戸橋を名所に仕上げている。
参考に
【長野県・県道217号線-坂戸橋】
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