■沢6号甲
「分水工を探る」其の7において紹介した大出7号(箕輪町大出地籍)の上流650メートルの位置に二つの分水ゲートが並ぶ。一つが沢6号甲、もう一つは大出6号乙である。地域名称が異なっているように並んではいるものの、かんがいする地域は行政上の異なっていることを教えてくれる。この地域も中央自動車道や国道のバイパスなどによって水田は減少している地域。加えて宅地化も進んでいる。箕輪町ではこの沢地域のほとんどを農業振興地域からはずしている。しかしながら、宅地の点在する中にまだまだ水田が残り、農と住が見事に混在している地域である。『西天竜史』に掲載された分水施設ごとのかんがい面積は、6号甲が10.7ヘクタール、6号乙が16.5ヘクタールである。これまでも述べてきたように、分水工施設はかなり老朽化しているが、西天竜幹線水路が造成されたよりは後に設置された。それも何度となく水利系の変更が行われてきたと思われる。
この6号分水工が設けられた昭和初期の図を見ると、甲と乙という分けがされていなかったようだ。「第六号支線水路其ノ一第一号分水槽」と記された図には分岐が4方向図示されている。現在の6号甲、6号乙、ともに2方向に分水している。足せば4ということになる。6号乙分水工については次回に譲るとして、ここではおそらくその後何らかの理由で沢と大出地区を分けた形で作られた6号甲分水工について触れよう。
『西天竜史』が編纂されたのが昭和37年。当時の分水工の数はほぼ現状と変わりない。そのことと6号甲の劣化の状態から判断して、現在の施設が編纂以前に造られたことは間違いない。当時10.7ヘクタールをかんがいしていた本分水工も、現在は4.5ヘクタールほどと半分以下に減少している。
本分水工が本来の6号分水工から分離して造られたであろうことは触れた通りであるが、設置された当初の姿を見せているとも思えない。なぜならば堰窓は北側に偏っている。当初はもう2つ堰窓があって、それが現在の南側に分水している水路への窓口になっていたはず。なぜそれを埋めてどてっぱらに開口を設けたのか、なかなか想像しがたい変更である。堰の窓は15センチ幅に高さは15センチ。内側に9センチほどコンクリートで増し打ちされていている。
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