わたしがここに赴任してきた際、執務室の入り口の脇に「角大師」の刷られたお札が貼られていた。記憶ではわたしが以前いた際にもどこかに貼ってあったように思うのだが、もちろん長年掲げられていたからふすぐれていた。以前いた際は別の部屋だったため、今の執務室とは異なる。移転した際に誰かが執務室の入り口に貼り直したと思われる。とはいえ、壁にセロテープで貼ってあってふすぐれていたし、ご利益があるという雰囲気でもなかったが、捨てることもできず、処理方法もわからなかったのだろう、ずっと忘れられたように貼られていたわけである。
ところがこの「角大師」がいつの日からか姿が見えなくなった。誰もそれに気がついていなかったようで、気づいたわたしが他の人たちに「お札がなくなったけれどだれか何かしたのかなー」と聞いた次第。もちろん誰もその行き先を知らず、中にはその存在すら知らなかった人もいた。想像するに、執務室の入り口の脇に外への扉があって、換気のために扉をあけておくことがよくあった。ようは強風に煽られて剥がれてしまったのだろう。すぐに気がつけば拾う人もいたのだろうが、どこかへ飛んで行ってしまい「捨てられた」に違いない。
実はこの「角大師」のお札が貼られていたことを「又貸しするおじさん」は認識していたようで、「前ここに貼ってあったよね」と。社員でも知らなかった人がいるのに、さすがに「又貸しするおじさん」、何でも知っている。まさかそのお札の代わりというわけではないだろうが、『疫病退散』にある「角大師」をコピーして配った、というわけである。とはいえ、魂入れされたはずはない。ようはただの紙切れである。とはいえ、この姿を見れば、ただの紙切れであっても捨てがたい雰囲気はある。入り口に貼ってあれば、悪者が入りにくい、などと思うかどうか。『疫病退散』の中で島田氏は「角大師」は慈恵大師良源がもとだという。なぜその良源がこのようなやせ細り、角のある鬼の姿に描かれるようになったかについて、流行の疾病に罹った良源が「円融三諦」を実践することで苦痛が去ったとされ、良源は弟子達を集め鏡に映した自分の姿を描かせたというのである。鏡の前で瞑想すると、その姿はしだいに骨ばかりの鬼の姿になったといい、それが「角大師」だったという。良源はその姿を刷り、民家に配り戸口に貼り付けるように命じたという。「この影像あるところ、邪魔は恐れて寄りつかないから、疾病はもとより、一切の災厄を逃れることができる」といわれた。これを読む限り、「影像あるところ」と称しているので、けして魂入れされていなくとも、その恩恵を被る、ということになるのかもしれない。
もともと貼られていた「角大師」がどこのお札であったのかはわからない。「角大師」のことは「続々〝かにかや〟」で触れた。下伊那では節分会にお札として配布している寺が多い。上伊那では見た覚えがなく、いつの時代に、どこでいただいてきたものなのか、よく見て置けば良かった、と悔いている。
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