妻が読んでいます その55。
『河童が覗いたニッポン』
妹尾河童 著
新潮社
表紙は、網走刑務所独房内部の図。
広島の刑務所からは受刑者が脱走。また鹿児島の刑務所では、出入り業者が無断で内部の映像を撮影し公開されるという、今年に入って刑務所に関連するニュースが相次いだ。
私が生まれ育った京都山科にも、刑務所がある。
刑務所というと、周りが頑丈な高いコンクリート塀で囲まれていて、外部からは中の様子を窺い知ることが出来ないというのが、現在では常識となっている。
しかし私が子供の頃には、塀の一部は内部が丸見えの金網製で、中のグラウンドでは受刑者たちによる運動会や野球の試合が行われていたりして、その様子が刑務所のすぐ脇の道路からも、手に取るように見ることが出来た。
また刑務所から400メートルほど離れた場所に、刑務所所有の農地があって、そこで農作業をするべく、手に手に鍬やシャベル等の農機具を持った20人ほどの受刑者たちが、数人の刑務官とともに、我々一般人が普段利用している田舎道を、ゾロゾロと列を成して歩いていく光景も、日常よく見かけられた。
そしてその農地というのが、私が通っていた中学校のすぐ隣にあって、校庭から野球やサッカーのボール等が、ブロック塀を越えて刑務所の農地へ飛んで入ってしまった際などは……。
中学生「すいませ~ん、ボール取ってくださ~い!」
刑務官「おい、取ってやれ!」
そんなやり取りの後、受刑者にボールを投げ返してもらったりといったことが、しばしば、いや毎日のようにあった。
そうして日々道で擦れ違う受刑者たちにはギロリと睨まれドキドキし、中学では受刑者に恐る恐るボールを取ってもらってまたギロリと睨まれドキドキしていた私だったが、その度その度、子供心に相当な恐怖心と戦っていたことを、あれから40年前後過ぎた今日でも、忘れることが出来ない。
あの農地は、今現在、野球場もある大きな公園になっているらしい。
『河童が覗いたニッポン』
妹尾河童 著
新潮社
表紙は、網走刑務所独房内部の図。
広島の刑務所からは受刑者が脱走。また鹿児島の刑務所では、出入り業者が無断で内部の映像を撮影し公開されるという、今年に入って刑務所に関連するニュースが相次いだ。
私が生まれ育った京都山科にも、刑務所がある。
刑務所というと、周りが頑丈な高いコンクリート塀で囲まれていて、外部からは中の様子を窺い知ることが出来ないというのが、現在では常識となっている。
しかし私が子供の頃には、塀の一部は内部が丸見えの金網製で、中のグラウンドでは受刑者たちによる運動会や野球の試合が行われていたりして、その様子が刑務所のすぐ脇の道路からも、手に取るように見ることが出来た。
また刑務所から400メートルほど離れた場所に、刑務所所有の農地があって、そこで農作業をするべく、手に手に鍬やシャベル等の農機具を持った20人ほどの受刑者たちが、数人の刑務官とともに、我々一般人が普段利用している田舎道を、ゾロゾロと列を成して歩いていく光景も、日常よく見かけられた。
そしてその農地というのが、私が通っていた中学校のすぐ隣にあって、校庭から野球やサッカーのボール等が、ブロック塀を越えて刑務所の農地へ飛んで入ってしまった際などは……。
中学生「すいませ~ん、ボール取ってくださ~い!」
刑務官「おい、取ってやれ!」
そんなやり取りの後、受刑者にボールを投げ返してもらったりといったことが、しばしば、いや毎日のようにあった。
そうして日々道で擦れ違う受刑者たちにはギロリと睨まれドキドキし、中学では受刑者に恐る恐るボールを取ってもらってまたギロリと睨まれドキドキしていた私だったが、その度その度、子供心に相当な恐怖心と戦っていたことを、あれから40年前後過ぎた今日でも、忘れることが出来ない。
あの農地は、今現在、野球場もある大きな公園になっているらしい。