湯村温泉の帰りに日本海沿いの浜坂へ
(帰る方向とちゃうがな~、遠くに行っと~やん、ですね)
頭の写真:「加藤文太郎記念図書館」長い名前・・
ここまで来たついでに行っとこ、と思ったんでねぇ。
加藤文太郎:
浜坂出身で、大正8年から神戸にある三菱重工の造船所で働いてました。
昭和10年結婚後は長田神社のちょい西あたりに住んでいて、
翌11年、槍ヶ岳で遭難し、30歳で亡くなったとのこと。
当時の登山はお金持ちが案内人や荷物持ちを大勢雇ってするもので、
一般人のすることではなかったようですが、
職場のサークル活動に参加後、単独山歩きを始め、
そんな記録が広く世間に紹介されて
山歩き・登山が一般化したという功績があるとのこと。
神戸の裏山を楽しく歩く僕に身近な話としては、
大正時代、加藤文太郎はまだ確立していなかった六甲全山を17時間で往復し、
今日の六甲全山縦走コース(塩屋~宝塚)があるということです。
また、休みの日には神戸から浜坂の実家まで一日で歩いて帰ったりもしてたようです。
じぇじぇ!(こないだ深夜にあまちゃんメンバー登場の番組があって、つい・・)
家から浜坂まで車でも遠いぞ~。。
いやはや、すご~い体力・気力! 植村直己の憧れの人でもあったんですねぇ。
浜坂での結婚披露宴に神戸から帰る途中、
八鹿で汽車を降りて山に登り、披露宴にはずいぶん遅れたとも。
やはり非凡やねぇ~。
図書館の2階にそんな解説あり
遭難当時の新聞記事もたくさんありました
「わたしたちの町の誇り 加藤文太郎」とパンフレットには書かれてました。
♪焼肉食べホ~ダイ♪のリピート山中が加藤文太郎の歌を歌ってるとも。
スーパーでは無理やろけど、"好日山荘"か"石井"に行くと聴けるんやろか?
外に出たら雨・・
風情のある"こみち"を散歩
小雨が似合いますねぇ・・
「弁当忘れても傘忘れるな」
うちのばあさんがよく言ってた冬の山陰の言葉 。
まさにそんなお天気。。。
(帰る方向とちゃうがな~、遠くに行っと~やん、ですね)
頭の写真:「加藤文太郎記念図書館」長い名前・・
ここまで来たついでに行っとこ、と思ったんでねぇ。
加藤文太郎:
浜坂出身で、大正8年から神戸にある三菱重工の造船所で働いてました。
昭和10年結婚後は長田神社のちょい西あたりに住んでいて、
翌11年、槍ヶ岳で遭難し、30歳で亡くなったとのこと。
当時の登山はお金持ちが案内人や荷物持ちを大勢雇ってするもので、
一般人のすることではなかったようですが、
職場のサークル活動に参加後、単独山歩きを始め、
そんな記録が広く世間に紹介されて
山歩き・登山が一般化したという功績があるとのこと。
神戸の裏山を楽しく歩く僕に身近な話としては、
大正時代、加藤文太郎はまだ確立していなかった六甲全山を17時間で往復し、
今日の六甲全山縦走コース(塩屋~宝塚)があるということです。
また、休みの日には神戸から浜坂の実家まで一日で歩いて帰ったりもしてたようです。
じぇじぇ!(こないだ深夜にあまちゃんメンバー登場の番組があって、つい・・)
家から浜坂まで車でも遠いぞ~。。
いやはや、すご~い体力・気力! 植村直己の憧れの人でもあったんですねぇ。
浜坂での結婚披露宴に神戸から帰る途中、
八鹿で汽車を降りて山に登り、披露宴にはずいぶん遅れたとも。
やはり非凡やねぇ~。
図書館の2階にそんな解説あり
遭難当時の新聞記事もたくさんありました
「わたしたちの町の誇り 加藤文太郎」とパンフレットには書かれてました。
♪焼肉食べホ~ダイ♪のリピート山中が加藤文太郎の歌を歌ってるとも。
スーパーでは無理やろけど、"好日山荘"か"石井"に行くと聴けるんやろか?
外に出たら雨・・
風情のある"こみち"を散歩
小雨が似合いますねぇ・・
「弁当忘れても傘忘れるな」
うちのばあさんがよく言ってた冬の山陰の言葉 。
まさにそんなお天気。。。