侘寂菜花筵(わさびなかふぇ)

彼岸の岸辺がうっすらと見え隠れする昨今、そこへ渡る日を分りつつ今ここを、心をこめて、大切に生きて行きたい思いを綴ります。

「ノルウエーの森」を観てしまった、、、

2011-01-11 23:30:48 | Weblog
  


  深く愛すること  強く生きること

 
  そんなメッセージなんてふっとぶほど  映像が美しかった!


  格の高い品性を感じた。 そしてアンニュイ。

  異邦人監督の描く70年代は汗臭くはない。

  水槽の中で泳ぐ美しい熱帯魚を観るような感覚。


  トラン監督の美意識は、一度村上春樹の世界をくまなく逍遙し、エッセンスを
  細胞の隅々にまで行き渡らせ、その上で彼独自の血を通わせて
  結晶させたような、そんな映画に仕上げていた。


  東京に出てきた年があの学園紛争のただ中だった。

  寺山修二や唐十朗や鈴木忠志が描いた70年代とは全く次元の違うところで感得していた世界が村上春樹の70年代。

  タシカニ、ワタナベのような学生はイッパイいたのに違いない、、が、いまこうして長い年月を経て
  あの頃を振り返ると、、光景としては沢山重なる場面はあるのに、感情の持ち方がまるで違うことに気づき、愕然とする。

  わたしの青春を今一度、意味づけ作業をせねばならなくなるような、、せつなさがある、、

  もう取り戻せない青春のあの時、私は果たして何を感じ、何に向かおうとしていたのか、、

  取り戻せない過去を今の時点から照射してどうするのだっ!という気がするが、

  この映画には多分に、そんな思いを強いる要素があるのだ。

   


  松山ケンイチがワタナベでなかったら、この映画はどうなっていたろうか、、

  菊地凛子さんの直子は本に近い、だから映画では生々しく、トラン監督の意図をはみ出している
 この人にはそう言う強さがある、ようだ。


   

  私は、近頃、私の母を強く思うことがある。
  母に似ている、母の心情を今追体験しているような、やっと母という女の人を理解したような気がする。


   

  ここには私が育った東北の蔵の臭いがある。あの臭いをかぎたくて、こうするのだ。


  生きている間は不条理なやりとりが続く、ある意味シュールですらある。



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