深く愛すること 強く生きること
そんなメッセージなんてふっとぶほど 映像が美しかった!
格の高い品性を感じた。 そしてアンニュイ。
異邦人監督の描く70年代は汗臭くはない。
水槽の中で泳ぐ美しい熱帯魚を観るような感覚。
トラン監督の美意識は、一度村上春樹の世界をくまなく逍遙し、エッセンスを
細胞の隅々にまで行き渡らせ、その上で彼独自の血を通わせて
結晶させたような、そんな映画に仕上げていた。
東京に出てきた年があの学園紛争のただ中だった。
寺山修二や唐十朗や鈴木忠志が描いた70年代とは全く次元の違うところで感得していた世界が村上春樹の70年代。
タシカニ、ワタナベのような学生はイッパイいたのに違いない、、が、いまこうして長い年月を経て
あの頃を振り返ると、、光景としては沢山重なる場面はあるのに、感情の持ち方がまるで違うことに気づき、愕然とする。
わたしの青春を今一度、意味づけ作業をせねばならなくなるような、、せつなさがある、、
もう取り戻せない青春のあの時、私は果たして何を感じ、何に向かおうとしていたのか、、
取り戻せない過去を今の時点から照射してどうするのだっ!という気がするが、
この映画には多分に、そんな思いを強いる要素があるのだ。
松山ケンイチがワタナベでなかったら、この映画はどうなっていたろうか、、
菊地凛子さんの直子は本に近い、だから映画では生々しく、トラン監督の意図をはみ出している
この人にはそう言う強さがある、ようだ。
私は、近頃、私の母を強く思うことがある。
母に似ている、母の心情を今追体験しているような、やっと母という女の人を理解したような気がする。
ここには私が育った東北の蔵の臭いがある。あの臭いをかぎたくて、こうするのだ。
生きている間は不条理なやりとりが続く、ある意味シュールですらある。