侘寂菜花筵(わさびなかふぇ)

彼岸の岸辺がうっすらと見え隠れする昨今、そこへ渡る日を分りつつ今ここを、心をこめて、大切に生きて行きたい思いを綴ります。

文学研究レポート、文学館を通じて文学を考察

2011-01-10 15:23:34 | Weblog
  
 「文学館を通じて近代文学の喜びに邂逅」

      はじめに
一. 吉川英治と吉野村
二. 持続可能な文学館とは
   おわりに


   はじめに

 文学館を切り口にして、文学にアプローチすることで、文学者の人となり、文学の質、人との関わりなど多方面から眺める事が出来、改めて、文学館の存在に思いを致す事となった。
 文学を文学という文脈だけで学ぶとしたら、それはそれで密度の濃いものになるのであろうが、毎日新聞社記者という立場から、時には凝視し、時には俯瞰してみる文学世界は、広く、深く、人々との関わりや後世の人々がどのような思いでその文学者の足跡を継承しようとしているのかも共に知る事が出来、講義を受けた者として幸いであった。
 作家の人名こそは知っていたが、作品を一冊も読んだことのない作家もいた。早速アマゾンで検索してみると、何と価格が十円。文庫本ではあるが、いくら何でもあんまりだと思いつつ、即注文し、読んだ。
 読後感を言えば、十円という価格は不当だ。
 徳田秋声の「新所帯」 は非常に力の漲る小説だった。登場人物の心の振幅やそれぞれの人物のキャラクターが、心理映画のように克明に描かれ、表情までも想像出来た。主人公が周りの人々に抱く内面描写は、源氏物語の詳細な人間観察にも似て興味深かった。
 文学の質と作品の価格は決して比例するものではないと断じて言える。
 果たして文学者と文学館はどうなのだろうか。
 今回取り上げた文学館は概ね近代作家というほうが近いような作家の文学館が多く、若い世代の人たちには割合身近に感じられなかったかもしれないが、どうして、どうして、実際に「吉川英治記念館」を訪れてみて、文学館は実に魅力的な空間なのだと言うことを再認識した。

   一.吉川英治と吉野村

 小春日和を思わせる美しい秋の朝、二俣尾駅からうねるように流れる多摩川を眺めながらの道すがら、笑顔で挨拶して下さる老婦人に出会った。こんな陽気の良い日には表に出て通りがかりの人に声をかけるのを日課にしておられるそうだ。集合場所のすぐ側にある産直のお店のお兄さんも、心やすく、といっても狎れ狎れしくも無く、程の良い距離感で話してくれる。記念館で働く方々もそうだった。この吉野という土地の持つ品の良さが風景や出会う人となりからも感じ取れる。
 この吉野の家を購入したのは太平洋戦争開戦前の昭和一六年と聞く。吉川が「日本青年文化協会」なるものを教育者・安岡正篤の影響を受けて設立していたことからもうかがえるように、今でいう「半農半X」な生き方をめざしていたのだろうか、或いは我が同郷の詩人宮沢賢治が「農民芸術概論」で著したようなユートピアとしてのイーハートーブーをこの地に夢見ていたのであろうか。いずれにしても、この地の人を心から愛し、公民館を建て、地元の小・中学生の奨学に努めた所以が解るような気がした。かつて吉川英治がこの地を去る際に催した園遊会の映像には吉野村の方々が大勢写っており、彼自身が鉦を叩いてお囃子に参加する姿からも如何にこの里を愛していたかが伺える。ここは吉川の生地でもなく、又、吉野梅郷は桃の木こそないが、あたかも桃源郷のようであり、聖地というにふさわしい場所であった。
 記念館の事務長・学芸員の片岡元雄氏の話から吉川英治という人に抱いていた先入観は全く払拭され、非常に魅力ある人物として蘇って来た、と同時に、大衆小説、と言うイメージしか抱いてこなかった著作に改めて挑戦してみたくなった。片岡氏がもっとも美しい
と思ったと話された「新・平家物語(十六)」 を早速ミュージアムショップで布製ブックカバー付きで購入し、読んだ。実に泣けるように美しい光景だ。鼻の奥がツーンとなる終章だ。まさにこの最後で締めくくられる為にあった七年だったのではなかろうか。吉野の里に引きこもり、「私は忘れられたいのだよ」と奥様に語りもしたという。この一冊を書き上げる事で新たな文学的境地に至り、名実共に「国民作家」 となった事は疑う余地がない。権力の上の榮世栄華などまさに、風の前の塵に等しい。

   二.持続可能な文学館とは

 片岡事務長の話の中に全国文学館協議会・会長・中村稔の弁として、常設展は常時リニュアルするのが良い、昨今は不要とさえ言っているのだとか、それに反して、ここ、吉川英治記念館はむしろ、変えない事、常に何時も同じ雰囲気を湛えていることを大切にしている由。どちらも頷ける。それも館の性格に由来するのではないだろうか。変わらぬ佇まいを保ち続ける事にこそ、今だからこそ大きな意味と価値を思う。

   おわりに
 
 洋風建築の書斎の床の間に手の平に乗りそうな可愛い釈迦誕生仏が配されていた。
右手で天を指し左手で地を指す、その御像の背後には「吾以外皆我師」と座右の銘が掲げられていた。この像と軸にこそ吉川英治の衆生の幸福を追求する熱い情熱と理想が凝縮されてあるように思えてならない。


 参考文献

  重里徹也「文学館への旅」毎日新聞社
二〇〇七年七月三〇日
  徳田秋声岩波文庫「新所帯・足袋の底 他二編」 岩波書店一九九五年一〇月五日第四刷
  吉川英治「新・平家物語(十六)」吉川英治歴史時代文庫62 二〇〇九年三月二日第三〇刷
  吉川英明発行「草思堂だより」第一九巻第一号~第四号 二〇一〇年


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