侘寂菜花筵(わさびなかふぇ)

彼岸の岸辺がうっすらと見え隠れする昨今、そこへ渡る日を分りつつ今ここを、心をこめて、大切に生きて行きたい思いを綴ります。

芸能の力ー生命の更新

2011-02-13 23:58:20 | Weblog
 
  伝統音楽のいできはじめが、天の岩戸を押し開き、
  天照大神様を呼び戻すアメノウズメノミコト様の歌舞であった事にとても大きな意味を感じる。
  「古事記」「日本書紀」が現代まで連綿と語り伝えているこのくだりは何度聞いても、
  アナタノシ、アナオモシロ、アナサヤケ、オケ、と言う気分にさせられる。

  本日お聞かせ戴いた「鳴り物」演奏にはその天の岩戸開きを思わせる、静粛で敬虔な空気が張り詰めていた。

  単に楽器を演奏するのではない、まさに神との交信をセッションしているような感覚にとらわれた。
  奏する方々は端然と正座をなさり、身じろぎもしない、一指乱れぬ丹田に集注した美しい姿である。
  楽器のみで奏するのではない、全身全霊をかけてのいわば神事のようであった。

  歴史の流れと共に伝統芸能が人々に愛されながらどのように変化を遂げ今に至ったのかを思うとき、
  その大きな歴史のうねりの中に幾多の物語があったであろう。
  小鼓一つを彫り抜くのですら、気のとおくなるような行程を経ている。
  ましてや皮はお母さんのお腹の中にいるうちの物を使用するのだとか、
  初音の鼓を慕う、狐忠信から、てっきり、狐の皮だと信じ込んでおりましたが。

  大鼓にいたっては2~3回しか使用できず、最高の状態に準備するまでに何時間もかけるとは。
  演奏の度ごとに、丁寧に繰り返されるその一連のプロセスは宗教的ですらある。

  能・狂言、歌舞伎を経て、今なお、そのいできはじめの精神性を損なっていない有りように真底、心がふるえました。

  一子相伝という伝承の中で型を崩さず、元の形を大切にしてきた始祖たちの精神性を垣間見る思いが致します。
  まさに神との交信がその根底に脈打っているからなのでしょう。混迷する現代という天の岩戸を押し開く、今こそその時!
  なのかも、シレマセン。


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