侘寂菜花筵(わさびなかふぇ)

彼岸の岸辺がうっすらと見え隠れする昨今、そこへ渡る日を分りつつ今ここを、心をこめて、大切に生きて行きたい思いを綴ります。

星に願いを!今年も七夕様にタア~~クサンの願い事

2010-07-11 13:23:21 | Weblog
 まあ潜在無意識説で行くとそれらすべてを自ら頑張って会得していかなければならない、、ということになるけれど、実は半ばは本当は神頼みなところもあるわけです。

 

この招き猫ちゃんだってそんなわけで我が家にやってきた貯金箱である、練馬区の夢屋という骨董品屋さんで目と目があい
しばしみとれていたら、店主が一言「あげるよ~」と言って下さった。そんなわけで千客万来、商売繁盛を祈願して
猫ちゃんに来ていただいた。下の空け口には和紙を貼り、いざというときはその和紙をはがす仕掛けにしている
たたき割るなんてそんなむごいことはしない。一度この和紙をそっとはがして、中味のご利益に預かった、ありがとう!

 私たち日本人は神社もお寺も教会もその時々で上手に活用している極めて珍しい民族かもしれない。

 小石川後楽園は儒学思想をとりいれているらしい、、印籠で有名な水戸のご老公の時代に完成なったそうな、、

この青田は文京区のとある小学生たちお手植えの稲、収穫時にもやってきてきっと収穫を田の神様といのるのだろう、、




 江戸時代初期、寛永6年(1629年)に水戸徳川家の祖である頼房が、江戸の中屋敷(後に上屋敷となる。)の庭として造ったもので、二代藩主の光圀の代に完成した庭園です。光圀は作庭に際し、明の儒学者である朱舜水の意見をとり入れ、中国の教え「(士はまさに)天下の憂いに先だって憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ」から「後楽園」と名づけられました。
 庭園は池を中心にした「回遊式泉水庭園」になっており、随所に中国の名所の名前をつけた景観を配し、中国趣味豊かなものになっています。また、本庭園の特徴として各地の景勝を模した湖・山・川・田園などの景観が巧みに表現されています。
(小石川後楽園HPから)

 

お茶の水のホームに立つとユニークな聖橋が一望できる、このたて長のアーチが現存するもののなかでは珍しく
 山田守氏のオリジナリティあふれるデザインといえるのかもしれない。
 
 儒教の湯島聖堂とギリシャ正教のニコライ聖堂、懐の深い我が民族ではある、この八百万精神が嫌いではない。
この橋の名称は公募によって決定されたが、
その由来は、この橋の左岸(北側) に位置する 「湯島聖堂」 と、
右岸にある 「ニコライ堂」(日本ハリストス正教会 東京復活大聖堂) の
二つの 「聖堂」 にちなんで 『聖橋』 と命名されたのは言うまでもない。
 御茶ノ水の堀(神田川)には、駅の前後に橋が架かっていて、その東京よりにある「聖橋」は、堀の上に雄大なアーチを架けている。恐らく日常目にすることが出来る東京の橋の中で最も美しい姿をした橋ではないだろうか。

 聖橋は昭和4年に開通。復興橋梁と呼ばれる関東大震災の復興期に架けられた近代的な橋の一つだ。復興橋梁の多くは鉄橋だが、聖橋は鉄筋コンクリート。直線的な形ではなく、アーチ型にしたのも鉄筋コンクリート構造の特徴を生かすためであった。設計は正式には土木技術者の集まる復興局橋梁課だが、戦前から戦後にかけて活躍した有名な建築家山田守が関わり、優美なアーチの姿に整えたと言われる。
(聖橋関連サイトから)

 ホントはこんな事をしているばあいじゃないわたしなのにブログの更新などという手間暇かかることをして、本当にしなければならないことから逃げている、、
 まさに不条理な状況にはまっている、未だ天啓が降りてこない、、これで行こう!という啓示がない、、

 ヨーロッパ美術史をルネッサンス期まで概観するとき、
 ?????が沢山現れる、イタリア以北は蛮族のいる処という規定、蛮族って誰、何世紀頃どこにすんでどんな文化をもって
どんなことをしていたの、ケルト人も蛮族?
 確かにギリシャ彫刻の比類ない美しさはある種完璧な美の表現!ともいえよう、
だけれど、暗黒の中世と言われる時代の写本にしても工芸にしても別な意味での美しさ、おもしろさがあり
美術的に価値が低いとは思えない、むしろその中に人間の本質的エネルギーすら感じられる。
 何故暗黒の中世というのか、紀元前から日本では考えれないあまたの民族が入り乱れ
広いヨーロッパ大陸を縦横無尽に駆けめぐって国を築く途上にあった人々が紡ぎ出した美術を
総意とも簡単に歴史でくくったり、規定したりなどできるわけがないだろうし、三日間の集中講義の中だけでは
 ほんのさわりを知ったにすぎない。
 もしも自分の疑問を本気でふかめるならば、あっちこっちの本をつまみ食いのようによんだところで
何もみえてきはしないだろう。
 私を惹き付けてやまないやん・ファン・エイクに再度迫りたいとも思うが、その前に
何故ギリシャ美術で会得した完膚無きまでの美の極致を見失い、葬りさったのか、
 確かに暗黒の中世と言われるキリスト教に支配されていた時代には
 一神教としてのキリスト教だけでは語りきれない文脈のものが混在しているようにおもう。
多神教の神々が形を変えて様々なところに出没してくる。
 その事にも魅力を感じる、その出没が何なのか、、知りたい、、どうやったら知り得るのか、、それがわからない、、

 急がば回れヤッパリシッカリ本を一冊読み込むべきかも!

 ああ、それにしても時間が、無い、、これだけでも2000字はゆうに書いているかもなあ~~

 ブログ書くよりレポートを書きなさあ~~いなワタシです、、、


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