「ほおずきの一枝」
奥多摩、鳩ノ巣渓谷へ出かけた。総勢九名。
最年少は四才、最高齢は不明としておこう。
真っ赤に染まるもみじや黄金色の銀杏やら、秋色にそまる広葉樹の山の間をゆっくり流れる多摩川に沿っての散策は 我々老若御一行様には格好の散策コース。
最年少リーチャンは今年入園した途端に成長振りが著しく、心身共に大人びてきた。
ゼロゼロしているオバサマ達を尻目にぴょんぴょん踊るような歩みに、年の差半世紀は埋めようがない。
思いの外あたたかい日、緩やかなアップダウンを繰り返しながら、美しく染まる木々や昨夜の雨で地面に散り敷かれた落ち葉を拾い集めながら、川の流れる音を聞きながら歩くのは実に気持ちが良い。 ランチをいただいたのは「奥多摩スピリット」を大切にしている「森のカフェ アース+ガーデン」
地産地消を旨とし、地元の元気な女性達が楽しげに立ち働くお店の玄関脇には蕎麦打ち室があった。
そこで小気味良い動作で蕎麦を打っていたのは、元ギタリスト、今、蕎麦太郎を名乗るオニイサンだった。
モチロン蕎麦太郎さん打ち立ての「麦切り」をいただいた。
蕎麦もいいが、大麦を原料にした「麦切り」も中々味わい深い。
蕎麦太郎さん曰く、
「蕎麦って日本のファーストフードだと思うんですよ。パットつくってぱっーと食べる!勿体つけて食べるもんじゃないと思うヨ」
ウ~ンナルホド、若いのに含蓄がある。
このお店ではアーティストとのコラボレーションもあり、音楽家や美術家とのアートイベントも企画している。
お店を運営しているのは四十代の女性。
奥多摩の魅力を多くの人たちに味わってもらい、この奥多摩の良さを持続可能な物にしていこうという意欲が感じられた。
かつて、奥多摩のあるもの探しに何度か通った時期もあったが、やはりその土地に住む人自身が本腰を入れて取り組むことで地に足付いた活動になる事を実感した。
東京から一時間チョットでこんなに豊かな自然に遭遇出来る。
つくづく、ありがたい事だと思う。
道すがら、黙々と土に向き合う八十代のお母さん二人に出会った。
鋤を使って、土を柔らかく掘り返しておられた。里芋を植える準備なのだそうだ。おかあさん二人はチョット手を休めてかしましい我々一行の相手をして下さった。「この辺りで火鉢用の炭を売るお店はあるかしら」とか、「山葵田はどこにあるのか」など矢継ぎ早の質問にゆっくり答えて下さった。山葵田はほんのすぐ側にあった。清流にしか育たない山葵は傾斜した清水の流れる場所にあった。
あれやこれや四方山話も区切りがついた帰り際「もっていくかい?」と真っ赤に染まったホオズキが鈴なりの一枝を差し出して下さった。
秋の思い出を大事にリュックにしまった。
日は西山に傾き、心なしか空気も冷たくなった。折良くやってきたホリデー奥多摩号に乗り、帰路についた。
奥多摩、鳩ノ巣渓谷へ出かけた。総勢九名。
最年少は四才、最高齢は不明としておこう。
真っ赤に染まるもみじや黄金色の銀杏やら、秋色にそまる広葉樹の山の間をゆっくり流れる多摩川に沿っての散策は 我々老若御一行様には格好の散策コース。
最年少リーチャンは今年入園した途端に成長振りが著しく、心身共に大人びてきた。
ゼロゼロしているオバサマ達を尻目にぴょんぴょん踊るような歩みに、年の差半世紀は埋めようがない。
思いの外あたたかい日、緩やかなアップダウンを繰り返しながら、美しく染まる木々や昨夜の雨で地面に散り敷かれた落ち葉を拾い集めながら、川の流れる音を聞きながら歩くのは実に気持ちが良い。 ランチをいただいたのは「奥多摩スピリット」を大切にしている「森のカフェ アース+ガーデン」
地産地消を旨とし、地元の元気な女性達が楽しげに立ち働くお店の玄関脇には蕎麦打ち室があった。
そこで小気味良い動作で蕎麦を打っていたのは、元ギタリスト、今、蕎麦太郎を名乗るオニイサンだった。
モチロン蕎麦太郎さん打ち立ての「麦切り」をいただいた。
蕎麦もいいが、大麦を原料にした「麦切り」も中々味わい深い。
蕎麦太郎さん曰く、
「蕎麦って日本のファーストフードだと思うんですよ。パットつくってぱっーと食べる!勿体つけて食べるもんじゃないと思うヨ」
ウ~ンナルホド、若いのに含蓄がある。
このお店ではアーティストとのコラボレーションもあり、音楽家や美術家とのアートイベントも企画している。
お店を運営しているのは四十代の女性。
奥多摩の魅力を多くの人たちに味わってもらい、この奥多摩の良さを持続可能な物にしていこうという意欲が感じられた。
かつて、奥多摩のあるもの探しに何度か通った時期もあったが、やはりその土地に住む人自身が本腰を入れて取り組むことで地に足付いた活動になる事を実感した。
東京から一時間チョットでこんなに豊かな自然に遭遇出来る。
つくづく、ありがたい事だと思う。
道すがら、黙々と土に向き合う八十代のお母さん二人に出会った。
鋤を使って、土を柔らかく掘り返しておられた。里芋を植える準備なのだそうだ。おかあさん二人はチョット手を休めてかしましい我々一行の相手をして下さった。「この辺りで火鉢用の炭を売るお店はあるかしら」とか、「山葵田はどこにあるのか」など矢継ぎ早の質問にゆっくり答えて下さった。山葵田はほんのすぐ側にあった。清流にしか育たない山葵は傾斜した清水の流れる場所にあった。
あれやこれや四方山話も区切りがついた帰り際「もっていくかい?」と真っ赤に染まったホオズキが鈴なりの一枝を差し出して下さった。
秋の思い出を大事にリュックにしまった。
日は西山に傾き、心なしか空気も冷たくなった。折良くやってきたホリデー奥多摩号に乗り、帰路についた。