侘寂菜花筵(わさびなかふぇ)

彼岸の岸辺がうっすらと見え隠れする昨今、そこへ渡る日を分りつつ今ここを、心をこめて、大切に生きて行きたい思いを綴ります。

三丁目コモンズパート3のお客様は加藤登紀子さん。

2009-10-08 00:39:26 | Weblog
 ホントに昨夜はブラボーな一夜でした。 
 登紀子さんが今まで一番言いたかったことを聞かせていただいた夜でした。
 画像をみつつ、お話しを聞きつつ、何の泪なのかほほを伝わり、しょっぱかったです。

 1968,私は19歳でした。渋谷三丁目コモンズではなく、新宿三丁目や池袋でお芝居を上演し始めていました。
 文学座や民芸、俳優座のお芝居を額縁芝居と称して軽蔑するポーズをするのが流行でした。
 でも私は生涯杉村春子さんを尊敬していますし、歌舞伎の始祖、阿国のかぶっきっぷりを崇拝しています。

 登紀子さんは1968年から2009年までを俯瞰し、くっきりと骨格鮮やかに今の時代を明確にしてくれました。
 語る時の登紀子さんに藤本さんが憑依しているような気分にさえなりました。
 彼へのオマージューでもあるのだなあと感じました。
 何よりも今の時代のスタートがまさに1968だったのだと再確認をさせていただきました。

 登紀子さんが次世代の若者に届けたかった思いは強く彼らの心を揺さぶり届いていたと確信いたします。
決して若者では無い私ですら血湧き肉躍る程久々に昂揚いたしました。
 あの時代がよみがえり、確かに何かを変えて行くんだ!という強い思いがあったはずです、、、
なのにそれがどんどん違う物へと変貌していき価値観がお金一辺倒になっていく時代に突入し、
バブリーな時代の中で狂乱した空疎な時代もありました。

 この50年であれもこれも体験し、
今やっとあの時に蒔いたハズの種があそこで、ここで芽を出し始めている気が確かにいたします。
若い人達が自分達の手で食べ物を育てようとする時代がいよいよ始まりました。
嬉しい萌芽です。

 いまさらながらボーイズアンドガールズビーアンビシャス、
そしてボーズビーアンビシャス、
坊様も宮司様もこれからの日本で担う役割は大きいと思います。
鎮守の森を守る事の重要性を叫んだ南方熊楠のように、
豊かな生態系が有ってこそのうまし瑞穂の国日本!!なはず。

 二酸化炭素を売り買いするとか、ハイブリット車をこしらえまくるとか、
太陽光発電とか風車とか、
登紀子さんがおっしゃるように、
何か新たなものをまたぞろエネルギーを消費して作ることによっての削減なんて
砂上の楼閣のようにしか思えません。

 私のふる里の宮沢賢治さんは羅須知人協会を設立しようとして、
時代が赤化することをおそれた周りの気分に気圧されて断念をしてしまいました、
が今彼の思いは100年の時をへて、鴨川やその他の地にグランディングしています。
そのような確かな形をこそ大切にすべき時だと私は心から共感するものです。

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