侘寂菜花筵(わさびなかふぇ)

彼岸の岸辺がうっすらと見え隠れする昨今、そこへ渡る日を分りつつ今ここを、心をこめて、大切に生きて行きたい思いを綴ります。

日本橋常磐橋

2010-06-02 11:34:25 | Weblog


 東京探訪
東京の都心で見られる普段の風景を写真と解説で紹介しています
(BY ASHY)
 さんのホームページからの抜粋記事

【常磐橋】
『常磐橋(ときわ ばし)』 は、千代田区大手町 と 中央区日本橋本石町 の間で、
「日銀本店」 前の通りと、対岸の 「常盤橋公園」 とを結ぶ、
歩行者専用の石造2連アーチ橋である。
【常磐橋御門】
この 『常磐橋』(下流側の 『常盤橋(ときわばし)』 とは中央の 「ばん」 の文字が違う) は、
江戸城の城郭門 「常磐橋御門」 の 見附橋 として架けられたもので、
右岸(大手町側) には 枡形門 の石垣跡が残っている。
この橋と神田川の 『浅草橋』 を結ぶ通りは、
江戸時代には 「日光街道」 に向う主要ルートであり、
「常磐橋御門」 は将軍家や水戸徳川家も利用する重要な見附であった。
【橋の創架】
この橋の創架時期は定かではないが、見附が出来たといわれる
寛永 6年(1629) よりも以前から橋はあったようで、
一説には天正18年(1590) とも伝えられている。
江戸の初期には 『浅草口橋』 とか 『大手口橋』 などとも呼ばれており、
「江戸五口」 の一つに数えられていた。
【肥後の石工】
「常磐橋御門」 は明治 6年(1873) に廃止され、木橋 の 『常磐橋』 だけが残ったが、
門跡の石垣石を使って、明治10年(1977) に現在の石造アーチ橋が架けられた。
明治政府には薩摩(鹿児島) をはじめとする九州出身者も多く、
肥後(熊本) の石工が多数呼び寄せられて橋の架設に当たったという。
当時 肥後の石工 が架けた石造の橋は10橋以上であったらしいが、
今に残っているのは 『常磐橋』 一橋のみである。
【常磐橋の現況】
現在この橋は、橋としての機能はほとんど果していない。
車道と歩道は区分されてはいるが、今は歩行者専用橋となっていて車の通行もなく、
普段も多くの人に利用されているというわけではない。
どちらかというと 「常磐橋公園」 にあって、
「常磐橋門跡」 とともに 「記念の橋」 のような存在になっている。

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