侘寂菜花筵(わさびなかふぇ)

彼岸の岸辺がうっすらと見え隠れする昨今、そこへ渡る日を分りつつ今ここを、心をこめて、大切に生きて行きたい思いを綴ります。

日比谷年越し派遣村

2009-01-05 23:01:39 | Weblog
本日日比谷の年越し派遣村最終日の助太刀に友人と出動してまいりました。

 布団運びやら本部テントの片付けなど枯れ木も山の賑わいで働いて参りました。
 
何百人もの人々をうけいれるにはさぞや、それ相応の覚悟のいることだったろうなと思いました。
食べ物飲み物寝具の用意、ボランティアの受け入れ、寄付金や差し入れの受付等、全てを把握し
的確な指令を出す人がそろっているかどうか、、
行政やマスコミ、政治家との対応、湯浅事務局長は憔悴仕切っている表情でした、、
 さもありなんと思います。良くも悪くも様々な事をいわれるでしょうし、、
本来の思いとは別な状況がおこりもするでしょう、、思わぬ誤解を受けたり、、

 それはともかく大勢のボランティアさんがいました。
また、沢山の衣類等の差し入れや寄付金もあったようです。
そして、ごみも山のようにでました。
 ごみ分別はいろんな場所から来ている人がいるので
可燃、不燃も悩ましい雰囲気でしたが、とりあえず、可燃、不燃、資源には
分けてきました。
 せめて東京23区同じ分別方法であるべきと感じました。
このような場から出るごみは事業系のごみになり、事業者に依頼することになるのでしょうが、、
 
 おむすびなどの差し入れも沢山捨てられており胸が痛みました、、
 ホカロンも紙も物は本当にあふれるようにありました。衣類も寝具も
すごかったです。がこれらが有効に活かされていたのかどうか、、短時間のことなのでよめませんでしたが、

 中に女性は一人もいないようでした。何故なのでしょう、、

民間のNPOが主導しての今回の支援組織をわたしは評価をしますが、本来ならこれは行政が当然するべきことだったとおもいますし
こんなに大勢の人々が寒空の下で過ごさなければならない状況にしてしまわざるを得ない社会も問われるべきでしたでしょうが、、

限界集落や過疎化する地域の田畑や災害後の被災地の復興人員、雪深い地域での支援、
いろんな業種で人手を必要としている場の人々との連携が必要なのではと感じました。
江東区でも何か支援の手はさしのべられないものなのかな、、
住む家働ける場、技を身に付けられる仕組みなど、
そしてこの未曾有の経済危機を景気に経済優先から
精神優先の社会にシフトすることを切望しています。
山根基代さんも仲代達也さんもこんな時こそおのおの方うろたえめさるな、、と言っていましたし、

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