フランス語はわからないのですが、
語るように歌うシャンソンの気分が今の
曰く言い難い気分を代弁してくれるようで
しみじみしてしまいます。
こういうときは元気な曲よりも気持ちによりそうような
ノクターンとかシャンソンが良いように思います。
この原発騒ぎの中で又微生物パワーが刮目されつつあるような気がしています。
化学物質ではない我らの最基層を成す生命体の微生物という生き物の
底知れない力でこの世に中が浄化されるかもしれない予感がしています。
トップランナーだと思われていた人々が一周遅れで
走ってきたランナーにおいこされていく現象が起こりつつある予感がしています。
もはや経済最優先の時代は終焉せざるを得ないでしょう。
あらたな「文化創造」の時代到来の予感すらします。
我々はそのカルチャークリエイターの気概をもって
この危機に満ちた時代を乗り越えるしかないのではないでしょうか、、
昨日顛倒して意識不明になった友人を見舞い、
ショックでド~~~ンと落ち込みそうになりましたが、
おちこんでばかりはいられぬのだと
我が身にむち打つような気持ちです。
ジョルジュ・サンドに吸引されたロザムンデ様に
おすすめのご本があります。
「フリーダ・カーロ」というメキシコの女性画家をご存知でしょうか。
かつて映画にもなりました。展覧会も開かれた事があります。
そのフリーダにひかれ彼女の愛と葛藤の軌跡を辿った
女性美術史家がおります。
堀尾真紀子さんという方が
かかれた「フリーダ・カーロ 引き裂かれた自画像」
中公文庫800
ほ 10 1 是非お読みになってみて下さい。
最後に横尾忠則と対談しているのですが、
その対談の中で芸術というものに言及しています。
人にとって芸術とはどのようなものなのかを
横尾さんが熱く語っています。
芸術とはある意味自殺行為だという概念に
私は妙に納得しました。
己を一度壊す、それまでの慣れ親しんだ概念を
ぶちこわす、そこからしかあらたなものは生まれない
それは人にもいえるし、社会にもいえるのかもしれません。
今私たちはこの災害を機に一度自らを殺したような
気分です。
傷口は深く、痛々しいです、、、
しかし生命体である限り再生の可能性はあるでしょう。
共にその可能性にかけて生きて参りましょうねっ!
原発の事で信頼している科学者としては京都大学原子炉実験所 助教 小出裕章先生
ですが、、これまでの書き物からの転用でも良ければお許しいただけるかも、、とおもうのですが、、
多分働き口はお断りされると思います。
今時還暦過ぎたおばさんを雇うより若いさくさくした
手枷足枷の無いひとを雇うほうを誰もが選択するでしょうから、、
独楽が独楽でなくなるのはその動きを止めた時、、
私も動いていないと自分が保てない心境です、、、
お言葉に甘えます、ありがとうございました。