侘寂菜花筵(わさびなかふぇ)

彼岸の岸辺がうっすらと見え隠れする昨今、そこへ渡る日を分りつつ今ここを、心をこめて、大切に生きて行きたい思いを綴ります。

今年の青虫君、、たった一日の出会い、だなんて

2011-07-22 22:17:54 | Weblog
     なっなんと、辺り一面 ビロビロいたはずの幼虫も、青虫になっていた二匹も

  どれもこれもかげもかたちもないっ! 無惨にも枝がおれているところもある、
 
   すわっ!下校途中の小学生っ!と ゴメンナサイ、子どもたちをうたがってしまいましたが、、、

  ヨ~ク観察すると、これは人の手によるものではなく、 ハチとかツバメ、すずめやカラスの類なのかもしれない、、

   その時ぶ~~~んと口に黒と白の縞模様状の幼虫をくわえたハチが飛び去り、あっ犯人はきみっ!
  とおもいきや、つかまえるすべもなく、、しかし、青虫君の事はよもやハチには咥えられないサイズとおもうけど、、

  そういえば、子宝に恵まれたツバメの巣が近所に二箇所はある、

 母鳥が近づくと一斉に、黄色いくちばしを大きくあけて、ピイピイピイっ!とかしましく泣き叫んでいる、

 ああああ~~あの子たちの餌食になってしまったものかしら、、

  それなら、きっと「二十六夜」のお話のようにフクロウの坊様が
 ありがたいお経を唱えて言うに違いない、、「その時に疾翔大力、爾迦夷に告げて曰く、諦に聴け、諦に聴け、善くこれを思念せよ、
 我今汝に、梟鴉 諸々の悪禽、離苦 解脱の道を述べん、と。~~」

   そんな説教聴いてはおらぬげなツバメ親子の気ぜわしい風情ではあった。

  とは言え、そんなことでも思わねば、青虫君の束の間のいのちが、あがなわれるものではない、、

  あっ、蝶がとんでる、モンシロチョウ、アゲハではないけれど、、

  蝶にはなくなった人の魂の変化だと言う人がいた、、

  多くの人の魂に花卷でもおおくであった、

  二十六夜の舞台となった獅子花でも、羅須知人協会跡地でも、、

  蝶にであい、賢治を愛してやまなかった、美穂子さんだろうか、、とも思った



    そう言えばしばし養生させてもらった姉の家でも沢山の蝶がとびかっていた、、


  こっちの部屋の臥所にふして、外を眺めやった、病みつかれた目には緑は美しい、、かった
 

 久しぶりに食べたお粥が天上の振る舞いの膳のように美味しかった、、

  お姉様ありがとうございました。

  

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