命の時代 文化の根っこを伝えたい
人間は本来、どういう存在なのか--。映画を通して、人類の普遍を問い続けて40年。沖縄の島に、その答えを見つけた。
琉球の始祖が降臨した「神の島」と呼ばれる久高島。12年に1度行われてきた祭事「イザイホー」が1978年を最後に途絶え、伝統文化は崩壊の危機にあった。
だが、島民たちは自然の恵みに感謝し、天、海、地に祈りをささげる暮らしを続けていた。
「生命を慈しむ土着信仰は、地下水脈のようにしっかりと息づいている」。2002年に神戸市の自宅を離れて島に移り住み、12年がかりで三部作の記録映画の撮影を始めた。
映画はナレーションのみ。カメラはただひたすら、大自然に育まれた島民の暮らしを追う。
「私たちの社会は、効率優先から、命の時代に入った。人々が太古から受け継いできた文化の根っこを伝えたい」。思いはただそれだけだ。
04年10月、脳出血で倒れた。右半身まひ。撮影は中断を余儀なくされた。なえそうになる気持ちを奮い立たせてくれたのは、島で見た「夜明け」だった。真っ暗な闇に次第に赤みが差していく光景が、再起を図ろうとする自身と重なった。「自然に生かされている」。そう実感した。
夜明けシーンから始まる第2部「生章」は、東京大で上映され、民俗学や宗教学の識者が埋めるホールで喝采を浴びた。これから第3部の撮影に入る。
カメラを手に、車いすで島を回りながら思う。「島に見るべきものは何もないが、どう生きるべきかを示すすべてがある」
文・鬼束信安 写真・田中勝美
(読売新聞 2009年6月26日夕刊)
人間は本来、どういう存在なのか--。映画を通して、人類の普遍を問い続けて40年。沖縄の島に、その答えを見つけた。
琉球の始祖が降臨した「神の島」と呼ばれる久高島。12年に1度行われてきた祭事「イザイホー」が1978年を最後に途絶え、伝統文化は崩壊の危機にあった。
だが、島民たちは自然の恵みに感謝し、天、海、地に祈りをささげる暮らしを続けていた。
「生命を慈しむ土着信仰は、地下水脈のようにしっかりと息づいている」。2002年に神戸市の自宅を離れて島に移り住み、12年がかりで三部作の記録映画の撮影を始めた。
映画はナレーションのみ。カメラはただひたすら、大自然に育まれた島民の暮らしを追う。
「私たちの社会は、効率優先から、命の時代に入った。人々が太古から受け継いできた文化の根っこを伝えたい」。思いはただそれだけだ。
04年10月、脳出血で倒れた。右半身まひ。撮影は中断を余儀なくされた。なえそうになる気持ちを奮い立たせてくれたのは、島で見た「夜明け」だった。真っ暗な闇に次第に赤みが差していく光景が、再起を図ろうとする自身と重なった。「自然に生かされている」。そう実感した。
夜明けシーンから始まる第2部「生章」は、東京大で上映され、民俗学や宗教学の識者が埋めるホールで喝采を浴びた。これから第3部の撮影に入る。
カメラを手に、車いすで島を回りながら思う。「島に見るべきものは何もないが、どう生きるべきかを示すすべてがある」
文・鬼束信安 写真・田中勝美
(読売新聞 2009年6月26日夕刊)