侘寂菜花筵(わさびなかふぇ)

彼岸の岸辺がうっすらと見え隠れする昨今、そこへ渡る日を分りつつ今ここを、心をこめて、大切に生きて行きたい思いを綴ります。

至福のはしご

2009-07-22 23:33:25 | Weblog
 歌舞伎座で玉三郎様が泉鏡花の作品を上演するのはこれが最後と思うと矢も盾もたまらず、やっと空いていた三階席をインターネットで見つけて予約し、かけこんだ。
 
 最初の演し物は幸田露伴の原作「五重塔」だった、これがまあ思いの外良く、しみじみ歌舞伎らしい運びの心地良さを堪能した。勘太郎さんの大工の十兵衛が実にイイ、近頃めっきり、芝居や口跡までもお父さんに似てきて怖いぐらい、線の違う役者さんになるのだろうなあと思っていたら血筋というのは争えないというか恐ろしいというか、しどころまでも似てくる。長屋に暮らす一徹ものの大工を余すところ無くイイ感じに醸し出していた。一方、獅童さんの方は今ひとつ現代風でどうも歌舞伎になってないところが見受けられて、多分ご自身もどうも居心地の悪さを感じているのじゃないかと思わせるところがあった。かつて猿之助さんの引きで狐忠信を演じた頃のような無鉄砲な勢いの在る魅力は陰を潜めてしまったような気がして惜しい。

 さて、お目当ての
「海神別荘」だけれど、、時折客席から失笑がもれる、、泉鏡花独特の台詞がどうにも歌舞伎になじまないせいなのか、はたまた演出の意図が十二分にこなれていないせいなのか、、演出も担当している玉三郎丈の美意識が舞台には満載で衣装、小道具、
生のハープが演奏されるし、装置はまさにロココ調、海底の御殿はかくやとうようなしかけ、、完璧なまでに美しい玉三郎丈の演じる、まさにその名も美女、そして、相手役として彼以外には考えられない海老蔵さん、、彼も勿論美しすぎるほど美しいのだけれど、仁左衛門さんのような線の細さと腹の深さと台詞回しの自在さがまだ今ひとつのせいか、人物像が深まらず魅力的な
ふくらみがうまれてこない、、だまってたっているだけの二枚目役ならそりゃもううってつけだけれど、個性のある役どこになるともう全然おもしろみもなんにもなくって、、その点勘太郎君は二枚目じゃないけれどその人の魅力を血を通わせてふくらみを持たせてあたかもそこに生きているように演ってみせてくれた、、
 仁左衛門さん、八十助さん、玉三郎さんに、勘三郎さん、藤十郎さん、団十郎さんと、、きら星のような歌舞伎役者さんが
活躍する時代に観客で居られる至福は言いようの無い喜びであるけれど、、次世代の海老蔵さん達にも今少し深みのある
 役者になってもらいたい。近頃は菊之助君が格段に良くなってきている気がするけれど、松緑さんも今一つ、
と話はとめどもなくなるけれど。
もとへ、海神別荘、確かに玉三郎さんの美意識が存分に盛り込まれているけれど、歌舞伎になじんだ観客の目には少々奇異な部分があることも否めない、、海老蔵さんにスキップさせるのだけは止めて欲しい、、笑三郎さん、猿弥さんは脇を引き締めてくれた。映画「外科室」も美しい映画だけれど、美意識のみが先行しているようで何かもの足らなく、腹に収まっていかない気持ちが残ってしまう、、、なにはともあれ、今世紀最良の美男美女カップルで演じられる舞台を拝見出来たことは幸せではあったが、、

 さて、その後五反田のゆうぽーとでルジマトフ様を観た。
もう文句のつけどころがない!!この人はすごすぎる、、身体表現する人たちはあまた居るけれど、まさに巨匠、まさにカリスマ。肉体を120%表現媒体として駆使している。常に中心感覚を失わずぶれない。表現者として浮ついたところがなく常に冷めて冷静である。にもかかわらずほとばしる情熱、たぎる生命観をその肉体から発光する。おおかたのバレーリーナは
上へ上へと跳躍するのが一般的だけれどもルジ様の違うところは腰が据わっているのだ。そして間の取り方が極めて東洋的で
音楽にのせておどるのではなく独特の空白がありそれが観る物を落ち着かせ引き込ませる。
 どんな動きにもスキやみだれがない、どこからついても安定している。表情が何か沈潜しているような静けさを感じさせる
観る者に媚びない。 まさに彼の舞台を観られることこそ至福であり珠玉の宝である。
 今日はルジ様に軍配が上がった。日本ガンバレ!!

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