昨夜、損保ジャパンの環境講座で哲学者の山折哲夫氏の講演をうかがいました。テーマはタイトルのごとし。環境講座でこのテーマとはなんと嬉しいキーワード私にとってはねがってもないお話でした。此まで語られなかったことが不思議なくらいです。郷里花巻の詩人宮沢賢治先生が生涯を通じて願ったことは森羅万象生きとしいきるものすべてにいのちやどるそのいのちの交流全うこそがいくることの大目的、、と私もおさな心に信じてこれまでやってきました。彼のあらゆる著作に流れる通奏低音、、それはまさに慈悲心であり無常である、、と山折氏は聞くところではご母堂が花巻のお寺のお生まれとか、、花巻に疎開をして織られた時期もあった由。山折先生の思想の根幹にも賢治先生の願いが流入されていると私は確信しました。環境学習とひとくくりにして学ぶ学習から広く、総合的に人の心を育む視点を持つことこそがこの地球を存続させ得る唯一のことなのではないかと常々おもっているのは私一人ではないと言うことに意をつよくした次第です。狭義にとらえることで萎縮してしまいかねない環境学習講座からときはなたれ人の心に慈悲と無常という相反する命題をもちつつそれでもなおかつ生きる勇気と輝きを求めてやまない魂の育成にこそつくさなければ、、そのような新たな文明、文化をこそこれから創出せねばならないと私は強く願います。
今日、山田洋二監督の「母べえ」を見てここにも無常と慈悲があふれていることに気づき、日本人はどんな窮地に追いやられてもこの思いを失いはしなかったのだと強く思いました。賢治先生の童話「なめとこ山の熊」にはこの無常と慈悲が横溢しています。
今日、山田洋二監督の「母べえ」を見てここにも無常と慈悲があふれていることに気づき、日本人はどんな窮地に追いやられてもこの思いを失いはしなかったのだと強く思いました。賢治先生の童話「なめとこ山の熊」にはこの無常と慈悲が横溢しています。