侘寂菜花筵(わさびなかふぇ)

彼岸の岸辺がうっすらと見え隠れする昨今、そこへ渡る日を分りつつ今ここを、心をこめて、大切に生きて行きたい思いを綴ります。

芸術環境演習3~8(話芸/東京)スクーリングレポート

2010-01-09 01:45:01 | Weblog
 いや~、はまりました!落語。
 これまでは自称、女だけれど「講談師」などと名乗ったりしていたが、これからは噺家さんを目指したくなった。
 受講前からかなりの期待でワクワクドキドキ、センスのイイ扇子を用意しなければと文扇堂さんに足を運び、テプコ浅草館の下見もし、当日にそなえたが、もう期待していた以上の笑い満載の深い学びのある三日間だった。
 落語は
 ○どんなところでも、すぐに始められる
 ○道具は扇子と手ぬぐいだけ
(上方では講談のように、見台、膝隠し、小拍子が置かれるそうだが、)
実際に演芸ホールで色々な噺家さんの落語をうかがったがそれはもう千差万別、それぞれのキャラクターで同じ噺もまるで違った味わいがある。
 また一人の人が語っているのに、いろんな登場人物を描き分け、おまけにその場面までが浮かび上がってくる。まるで映画のカットバックをみているかのように、上下を切ることで場面がぱっぱっと変わるのはたいしたものだ。
 とんでもない登場人物でも愛嬌があるし、お仕舞いにはなんとはなし、幸せであたたかい気分にひたらせてくれる。ホールを出る人の表情には微笑が浮かんでいる。
 実際に今回の講座を受講してから二度ほど演芸場に足を運んだが、学んでからの鑑賞は一層深みが増し、どのように上下をきっているかとか、小道具はどう使うかとか、ああこの方の出囃子はこれか、羽織はどのタイミングで脱ぐのだとか、以前よりも百倍も堪能出来た。おまけに学割も効くし、勉強にもなり、こういうホールが身近にあったら、皆さん、いつも微笑を浮かべて暮らせるのじゃなかろうかと思う。
 俄然やる気満々で、三日間の講座終了した翌日から猛特訓に励んだ。
 私たちのグループでやらせていただいた「雑俳」をとにかく全編覚える為に自分で全てを語ったものをボイスレコーダーに録音し暇さえあればそれを聞いて暗記に相務めた。が
聞くほど、ああここはこんな間じゃ駄目だ、このいい方じゃきつさがあるとか、最初に吹き込んだのが気に入らず、何度か吹き込みなおした。
 さて、それからは実際に人前でやってみなくちゃ、ということで八十七歳の義母を前に、自らはコタツの上に座布団を敷いて実演。
 ネズミや美術館などの小咄をしてから「雑俳」に入ったのだが、まあなかなか義母は、ニコニコして聞いてはいるものの、大いに嗤うという感じではなく、二度目はこんな噺だと講釈するほうに時間がかかったりして、全くお笑いにもならない始末。
 一週間ほど置いて又同じ噺をしても義母は前に聞いたと思わずに聞いていたようだ。まあいつも新鮮な気持ちで聞いていただきありがたいのではあるが、この年齢の人でもおもしろがってくれるような噺を選ぶ事も必要なのだなあ~としみじみ考えさせられた。が、四度目に「やかん」をどうしてやかんと呼ばれるようになったかの件をかいつまんで話したら、初めて手を叩いて喜んでいた。
「矢があたって、カ~~ンとなったから、、」って言っただけでこんなに笑ってもらっていいの、、だが、それぞれの笑いのツボというのがあるのだということが実感された。
 同じ年齢層の友人と三人での忘年会では小咄の「美術館」が大いに受けて大笑い、その後「雑俳」をしたが、まあお店のテーブル越しだし、結構話し出すと長いので途中で切り上げたが、「美術館」の下げの「お鏡で御座います」でドット笑いがくるのは結構な快感で、以後やみつきになりちょっと人が集まるとすぐこれを披露するものだから、友人で聞いていない人はいなくなり、ネタ切れになったので、先頃演芸場で仕入れたばかりの森首相とクリントン大統領初会談英語でご挨拶というのを覚えてやったらこれも大受け!以後はこの二つの小咄を使い分けてやっている。
 次に、先頃お亡くなりになった一鶴先生のところで共に講談を学んだ先輩の所に伺い一席やらせていただいた。彼女は子ども劇場の委員長を務めるほどの活動家だったのだが、十年ほど前に受けた心臓手術が失敗し、右半身不随になってしまった。その後もかつて油絵をかいていたので左手で描いた絵の個展なども開催したが、年々弱くなり、近頃は殆どベットの中で過ごすようになっている。講談にさそってくれたのも彼女で、坪内逍遙訳の「ロミオとジュリエット」を講談にして語るほどの強者だった。だからいつでも何かあるとまずは彼女に聞いてもらい、ご批評いただくのが慣わしになっていて、今回もそんなつもりで聞いていただいた。ご主人のベットに座り、始めたのだが、チョット熱が入りすぎ、興奮してしまい、ネコの子の、子ネコこのねこの件がチト怪しげになったりもした。案の定、「もう少し稽古を積まなきゃね、、」との仰せだった。
 さて、いよいよ、12月21日、私達の環境グループの忘年会開催の日を迎えた。友人が出囃子からめくりまで用意をしてくれて、落語名も「侘寂菜亭のら」と決まり、良い具合にお座敷のお部屋がとれたので畳の上での初高座ということに相成った。
 テーブルの上にはそれぞれの自慢の手料理がひしめき合っているその前で、元禄花見踊りの出囃子にのって侘寂菜亭のら登場。
 いや~もう、これだけの環境が整いますてえ~と気分もすっかり落語家さんになるもので、イイ心持ちで話させていただいた。案外まちがえても、これまでの体験もあり、冷静に乗り切り、最期までご隠居さんとはっつあんの気分を保って話し終える事が出来て、これまでの中でも上々上出来だった。
 羽織を脱ぎ捨てるタイミング、キセルを使う、お茶を飲むなど学んだ事は一切詰め込んだ。
 おまけに、「おお、はっつあん、ほれ、そこにばあさんがまんじゅうを置いていってくれたから饅頭おあがり、イヤ~その饅頭は恐いことはない、、」などとアドリブもいれてみた。
 その時の高座を後からボイスレコーダーできいてみるのだが、これが案外おもしろくって、自分でも笑ってしまう。
 話芸は落語に限らず、講談、漫談、浪曲、いずれも大変に興味深い。日本最古の物語の古事記にしてもそもそもは稗田 阿礼 さんが語ったものを筆記したというのだから、古今東西にはあまたの語り伝えの話芸があったに違いない。韓国のパンソリにしても大変にインパクトのある話芸だ。人は人とのコミュニケーションを通じて、心豊かになり、学びも深め、日々の暮らしの役にも立ててきた。言葉でのコミュニケーション力が弱まりつつあるという記事を読んだが、それではいけない、笑いとペーソスのある落語を大いに聞くべきだ。
又、聞くだけではなく、語る人にもなると良い。語る事でカタルシス(語る質?!)も味わえる。
 飛び道具を使わずに、ミクロなセンスある扇子と手ぬぐいで、マクロコスモスを描く事だって可能なのだ、話芸を通じてこれからも人と人の輪を和やかに、まろやかに、つないで行けたらこれに勝る喜びはない。以後もこの講座で学んだ話芸を活かしてゆきたい。

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