アラ還のズボラ菜園日記  

何と無く自分を偉い人様に 思いていたが 子供なりかかな?

真説 国定忠治 其の七拾七 忠治処刑の其三

2013年12月23日 | 近世の歴史の裏側

 

前回の惣左衛門が語った伝聞を、浅学の私が読み下しすると

傑の場所には幕府から派遣された検使役人一名、立会い、

刀持を従えた執行人の浅草弾左衛門の手代が床机に座って指示を出した。

処刑の仕方は、江戸小塚原の刑場などとは違っているようだ。     

いよいよ槍で突こうという時、忠治が待てと言いい、

「まず待ってくれ、御役人方へお礼申上げなければ」と制止した。

そして「私は、悪党を致しましたが、国のみせしめになって

御成敗と決まり大変うれしく思います。

お蔭様で小伝馬町牢内でも我身を大切に取扱い戴き、

このように天下の御法に叶うことで、」と、

感謝を言い終ると、鑓特に向かって、さあ突けと目を閉じた。

一槍突いては引きぬくごとに、かっと目を見開き、

千五百人余りといわれた見物人を見まわした。

また目を閉じて突く抜くの後槍も同様であった。

かくすること一二度まで目を開いたという。

一三度目にしてようやく死に至った。

いかにも大丈夫の豪の者である。

 

床机


しょうぎ

                              続く