アラ還のズボラ菜園日記  

何と無く自分を偉い人様に 思いていたが 子供なりかかな?

真説 国定忠治 平成弐拾七未年 其の弐拾六

2015年05月08日 | 近世の歴史の裏側

息のかかった鶴舛屋米吉に任せている。

突如句大津屋の岩鼻陣屋出張といい、何かしっくりしていない。三右衛門に隠して仕組まれている。

米吉が名主清兵衛に提出したという書類は、徳の送籍の一札であったが、名主清兵衛の権限は

玉村宿に及ぶのか、宿内の意向を反映する「間屋一同」の相談とは米吉の言う通りであったのか。

三右衛門は、事態は収拾されたと思いこみ、徳を安心させて帰宅させた。

一日置いた四月九日事態は暗転した。

 

四月九日

 同日五目牛村徳方江罷出候、同宿役人一同相談ニ而右徳宿方江出店之義故障之向ニ而店受五目牛村徳迄飛脚相立候由、帰宅ニ而承り候 右村より安五郎・飛脚之もの同伴二而夜中ニ相帰り候

 

                               つづく

          読み下しは次回に致します