前回の事は、大きな事件であった 警察はT刀月半ほどのち いったん被害者宅
の隣人ら二人を逮捕したが 間もなく容疑がはれて釈放している この失態と捜査の手づまりが
当局を追いつめ焦らせていたろうことは想像に難くない そんな中で三月十五日 近隣一
帯を徘徊していたミナオシ集団の一人伊藤を別件の窃盗と恐喝罪で逮捕したのだつた。
恐らく浮浪者達を、標的にした見込み捜査によったのではないか、容疑はでっち上げといつて
よいような微罪であった。 伊藤は昼も夜も何人もの刑事に取り囲まれて「がんがん」やられた。
そのうち自分の年もわからなくなったという そうして三月二十日付けの新聞各紙に 姉弟殺しを自供した
旨の記事が、載ることになる 同月二十六日には殺人罪で再逮捕されている
しかし伊藤が本件の殺人で起訴されることは ついになかった どうしても真犯人とすることができない
証拠が、あったものと思われる それが何かは 当時の新聞を繰っても見つからない、そもそも「目供」以後の
報道自体が殆ど無いのである。
本件で不起訴の理由は 伊藤本人にもわからない 刑事からは何の説明もなかつたし勾留中は新聞など
読めなかった、彼はそのまま窃盗と恐喝罪で服役した。
伊藤が自分の逮捕を伝える新聞記事を目にしたのは それから四九年後のことである。
なを、記事は昭和27年3月20日付の毎日新聞の埼玉版にある。
つづく