箕については、弥生時代の遺跡からも発掘されている それは二千年以上にわたって
農民の暮らしに欠かせない道具であり続けて第二次大戦後もなおしばらくその状況は
変わらなかった
昭和二十年代から三十年代の初めは その最後の大需要期であった 敗戦後の食糧難と
出征兵士たちの大量帰農は、農業の隆盛と農村の活性化をもたらした。
必需品の箕は作るそばから売れていったのである。栃木県宇都宮市のある仲卸し商は
当時を振り返って「箕は売るよりも仕入れの方がずっと大変だった」と、話している、
しかし、突然に凋落が訪れる 昭和三十年代半ばの、ほんの一、二年を境にぱったりと売れなく
なるのである 日本における農業機械の普及はそれほど急激であった。
農民は何かに駆り立てられるように、競って新式の機械に走った「隣が買ったんだから」
それが合言葉だった。彼らの中には そのために無理なローンを組んだ者も少なくなかった。
「機械化貧乏」といわれたものである。ミナオシたちには何か起きているのか
よくわからなかつたに違いない。
経済の高度成長に伴いどの分野でも仕事は増えていた。中学校の新卒業生たちが「金の卵」と
呼ばれて企業に迎えられたのは、此の頃からであった出稼ぎを希望する者が支度金を
もらって列車に乗るようになったのも同じころである 選りごのみさえしなければ 働き口は
いくらでもあった。だがそれも文字と計算の能力を欠いた非定住民には 無縁の繁栄だった
ミナオシたちは日々窮乏していきやがて集団は解体、消滅へと向かう。
つづく