右帯刀壱拾人、組合棒人三十人は、十九日晩いしづ泊り
ニて参る。廿日朝四ツ時不残祖語ル。集る人数大かた百七拾人
人程集まる。居処なくして、御役元様へ御頼申上、上宿与五
兵衛様宅を借請、帯刀人四十人程遣しおく。跡人足は御罪
場へ三十人程遣し置。跡人跡は弐軒へ入置、其時の料理人は
下組の小屋しらいわ料理方はしんにて致ス。あとはかね原小屋、
中室田小屋此者共ニていたす。食焚は組合の者いたす。
処刑の役にあたる弾左衛門、善七の関係者は、帯刀十人、棒付
三十人が十二月十九日の夜いしづ泊りで到着し、二十日朝は
それぞれ部署についた。総計百七十人も集まり、
居るところがなく、村役人に話して大戸上宿の与五兵衛の家に
帯刀者を四十人ほどやり、あとは刑場などへやった。
食事のことまで記してある。こうして、いよいよ刑の執行当日となった。
続く
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