アラ還のズボラ菜園日記  

何と無く自分を偉い人様に 思いていたが 子供なりかかな?

真説 国定忠治 其の五拾弐 忠治処刑の詳細の参

2013年11月22日 | 近世の歴史の裏側

 

依て人足御借(貸)披下候様小頭方へ頼頼入候の処、小頭申候様は、

時分柄ゆへ早々談事相済、綴方の吉皆々立帰へり人足無之故、

下小屋長吉方に居合候者借遺申候由ニて、下小屋の者借請、

其より帰へり、水沼又□、権田村市六同道ニ而相戻、其段御役元へ申上、

場所の義は百姓人足ニ而拵へいたす。

 

 年の暮であっ為に、方々から集っていた人足もそれぞれ帰ってしまったので、

下小屋にいたものだけを集めて大戸に戻り、処刑場は地元の村民の人足で

造る事にしたと私は解釈するが、惣右衛門の手記より読み取れることは、

頭と頭の影響力が如何に強く当時の社会に於いて其独占力は

計り知れなく且つ知識、教養が高く独占していた仕事は重要で不可欠あったと、

私は考えるのですが、其れは是までの記載内容をご覧戴いた方の解釈に委ねます。

 

                         続く



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