実際、八甲田山という名の山はありません。
大岳(標高1584㍍)、前岳、田茂萢岳、赤倉岳、井戸岳、硫黄岳、石倉岳、
高田大岳の事を言い、
これらが八つの甲に見える事から通常八甲田と呼ばれています。
正式には「北八甲田連峰」と言います。
映画「八甲田山」との疑問点
小説(映画)からの疑問点
「八甲田山系のどこかですれ違う」という聯隊間の約束があった?
史実
実際は両聯隊の独自計画で、弘前聯隊では3年掛かりで計画が練られていた。
“聯隊間の約束”は、たまたま同時期であった事と、新田次郎氏が参考にしたとされる
の構成(両聯隊の行動が同時進行)をヒントにしたと思われる。
従って神成大尉と福島大尉の交流は全く無い。
弘前隊の斉藤伍長の弟は青森隊にいた?
史実
実際はいない。あくまでも創作。
因みに神成大尉の従卒は18日に行なわれた予備演習には参加したが本行軍には、
参加していない。
田茂木野で案内を断ったのは大隊長?
史実
大隊長・山口少佐は温厚な方だったようで、『吹雪の惨劇』によると大隊本部の見習士官・
下士官が追い返したとなっている。
小説では山田少佐を“悪役”に仕立てる事により、
神田大尉を悲劇のヒーローにしている(?)
それに実際の神成大尉は小説の描写と違って自らを卑下していなかったと思われる。
青森隊は指揮系統の乱れが原因(人災)で大惨事に至った?
史実
各史料に目を通す限りでは指揮系統にさほどの問題は無く、
大惨事に至ったのはあくまでも天災であったと思われる。
実際、猛烈な暴風雪と異常寒気の襲来で、この年の1月25日(青森隊出発3日目)には
旭川で零下40.1℃を記録した。
弘前隊は案内人に敬礼して見送った?
史実
あくまでも映画の演出。
小説では案内料を手渡された滝口さわが「もう用は無ぇってわけかね」と言う。
七勇士に対しての態度、あれが全てである。
弘前隊は八甲田を越えて帰弘途中、堂々と『雪の進軍』を声高らかに歌っていった?
史実
これもあくまでも映画の演出。
「実際は半死半生の状態で帰営した。今にも倒れそうだった」と、弘前隊を出迎えた女性(間山伍長の奥様)を
介して御子孫が証言している。
徳島大尉、神田大尉、2人とも雪中行軍に関してはなかなかの権威者のようだな」(友田旅団長の台詞)
史実
福島大尉は冬の岩木山で雪中露営(2泊)と夏の八甲田(5泊)を歩いている。
今回の三本木経由の八甲田雪中行軍は三年がかりで計画され、
福島大尉にとって総決算とも言える内容だった。
一方、神成大尉は原田大尉から急遽交替させられ、雪中行軍の記録は残っていない。
八甲田連峰 吹雪の惨劇
(小笠原狐酒・著)
雪中行軍隊員中、最長寿を全うした小原伍長の証言を基に小笠原氏の人生を賭けて書かれた書物。
五聯隊と三十一聯隊の行動を並行して描かれている面白い編集。
本来第五部まで執筆される予定であったが、筆者御逝去のため第二部までしか存在していない。
自費出版の為、一般書店では扱っておらず、馬立場の『銅像茶屋』まで足を運ぶしかない。
小笠原氏の尽力が無ければ、この悲話は風化していたと言っても過言ではない。
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