映画「八甲田山」
音楽 芥川也寸志
音楽は下記のアルバムに収録されている
芥川也寸志 映画音楽組曲「八甲田山」 Yasushi Akutagawa - "Hakkoda-san"
及び09年にディスクユニオンのレーベル富士キネマよりCDで再発された。
(規格品番FJCM-006)。
芥川也寸志 forever(規格品番 FOCD-9415)には、
八甲田山(1977)9:30
⑩徳島隊中ノ森雪原(1:35)
⑪徳島隊銀山に向う(2:29)
⑫棺桶の神田大尉(2:34)
⑬終焉(2:38)
特に、⑫棺桶の神田大尉(2:34)には、心打たれ涙する私である。
目をつむって聴いていると、芥川也寸志の非凡さが満ち溢れているのです。
1943年、東京音楽学校予科作曲部に合格したものの乗杉嘉壽校長から
呼び出しを受け、受験者全員の入試の成績一覧表を示されて
「お前は最下位の成績で辛うじて受かったに、過ぎない。大芸術家の倅として、
恥ずかしく思え!」と叱責されたが、
1947年に東京音楽学校本科を首席で卒業
父:芥川龍之介 母:芥川文は海軍少佐の塚本善五郎の娘 兄:芥川比呂志
長女:芥川麻実子(財団法人首都高速道路協会理事) 最初の妻紗織(旧姓山田)の長女
息子:芥川貴之志 MB-Netの創設者。『メルセデスベンツマガジン』など自動車雑誌でも執筆のほか、ナイキのコレクターで、有名、母親は也寸志の3番目の妻
芥川氏は先祖をさかのぼれば源氏・平氏の両方に起源をもつ豪族であり、
どちらも摂津国芥川に由来する。ひとつは清和源氏義家流小笠原氏族。
ひとつは流派不詳だが、徳川幕府に仕えた芥川元孝が家伝に桓武平氏の一族としているという。後者はどうもウソくさいが、芥川也寸志の家は代々江戸っ子で、
先祖は江戸城の茶坊主であったというから、後者だろう。
また伊賀忍者の家にも芥川があると司馬遼太郎が記している。
芥川也寸志は
大正14年 7月12日 生まれ
也寸志が 二歳の 誕生日を迎えて 12日後 の 昭和2年
7月24日 父の 芥川龍之介が
(ただぼんやりとした不安)と 言う 遺書を残し自殺
也寸志は 父の 面影すら知らない
そんな幼少期を過ごします
そんな 也寸志が 音楽の世界に入るきっかけは
奇しくも 父 龍之介 が 趣味で集めていた クラシックのSPレコード
也寸志は 若くして 天才作曲家の 名を欲しいままにしますが
いつも 芥川龍之介の 三男 と 言う肩書きが 付いて回り 苦悩の日々
そして 父が 自殺した 36歳まで 生きられるのか?
そんな不安からか 愛を求めるかのように 三回結婚しています
そのうちの 1人が 二番目の妻で女優の 草笛光子
草笛光子は 以前 あるテレビ番組で、芥川也寸志と 結婚した時、
幸せなハズなのに彼は、いつも 孤独を抱えていたと語っている。
また、松本 清張は、
養父道章は芥川龍之介の第一回河童忌(七月二十四日だが、
暑いので参会者の迷惑を考えて六月二十四日にくりあげた)の翌朝、
庭を掃除しているうちに急に気分が悪くなり、床についた二日後に死んだ。
こんなことを書くのはどうかと思われるが、若し、
(という仮定が宥されるとすれば)養父の死が一年早かったなら、
芥川の自殺は無かったかもしれないと思われる。(P108-109)
── 松本 清張《昭和史発掘 02 芥川龍之介の死 119821015 文春文庫》
芥川は、黛敏郎がいうところの、壮烈な文化への戦死を遂げ、
惜しまれつつこの世を去った。
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