共に励まし合って
位置を知り方向を定めばほっと安心したのも束の間、大尉は意外にも「汽車賃なり」といつの間に
準備したのか金2円づつを7名に渡し口を一文字に結んでいった。
「過去2日間の事は絶対口外すべからず」と唯一言。
無情にも吾等を置き去りにして隊員を引卆し、何処ともなく暗闇の中を出発して行った。
同伴をすがることも出来ず、吾々はただ呆然として失神同様となってしまった。
やっと気をとり戻したものゝ、暗夜、しかも土地不案内の雪路に放り出すように残された、
吾々7名は生きた心地もなく田茂木野村を目指して、病者の群れのごとく、
辿り進む哀れな身の上となってしまった。
沢内鉄太郎氏は途中やぶ蔭を見付けては幾度か眠りをとろうとした。
睡魔に襲われたのである。
ほとんど意識を失い吾々は幾度か呼んだが答えない。
省みれば24日に増沢を出発して以来、2昼夜不眠不休その上、
途中僅か一食をとっただけである。
だから空腹と疲労のため遂に仮死状態となってしまったのである。
彼は八甲田の地理に詳しい数少ない存在で、終始一行の先導をし、
数十名の生命が常に彼の双肩にかかったことが幾度かあったのである。
このような恩人を見捨て置くことができるだろうか。
吾々は極度の疲労をも省みず、死なしてなるものか死なば諸共と互に励し合い、
抱き起こそうとしては共に倒れ、起きては抱き、抱きては転び、正に雪だるまのようになって、
漸く田茂木野村と思われるに辿り着くことが出来た。
未だ夜中であったがの所々の家は起きており何やら騒々しさが感じられる。
一刻も早く睡眠と食事を取りたいものと、さる家に宿を頼んだが無念にも、
断られ暫く軒先きにて立往生したが、田茂木野村であることを知る事が出来た。
聞けば五連隊捜索隊の宿泊する為であるとか。
やむなく乞うて土間を借り木炭を譲り受け、鍋を借りて「ワッパ」の儘煮て、
氷となった飯を解かし之を食べた。
時午前4時頃、精神もうろうとして昼夜の区別がつかない。
又自我の意識もはっきりしない。
死んでいるのか生きているのか只夢心地でしばらくの間、うたた寝をしていたのである。
いつまでもこのようにしていることもできないので、一同は覚悟を決めて同地を出発、
正午頃漸く待望の青森に転るように辿り着くことが出来た。
途中、人・馬橇が陸続として一里以上も長く続いて擦れちがった。
これは五連隊遭難兵の捜索隊であったのである。
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