2016年4月26日(火)
なんだか、あっという間に、帰る日になってしまったような気分。
帰りに、世界遺産になった富岡製糸場に寄っていくことにした。
明治に設立された製糸工場というと、ウィステは、すぐ、
「ああ、野麦峠」を思い出してしまう。
「世界遺産になったけれど、女工さんたちは悲惨だったのよ。
映画にもなったわ」と、Kさん、Yさんにも話しながら行ったら、
全然違ったわ。(^^;)
お富ちゃんという、袴姿の工女さんのマスコットガールが
描かれているパンフレットに説明されていたのは、
「当時の官営工場では、工女さんは、むしろエリート。
一等工女は、高給で、週1回の休みあり、宿舎、食事付き、
工場内の診療所で、医療費、薬代無料と、かなり大切にされていた」
ということでした。
ガイドさんも、「官営工場で、野麦峠のようなことはありませんでした」と言って、
広い工場の中を案内してくれた。ここは、115年間操業し続けたそうで、
明治のレンガ造りの工場はそのまま、ず~っと使われ続けたそう。
1987年(昭和62年)に操業停止したそうだけれど、その時の経営者、
片倉工業が、大事な歴史的建物だからと、維持費を負担して、管理し続けてくれ、
おかげで、世界遺産の登録を受けることが出来たそう。
しかも、片倉工業は、工場内の建物で、工女に読み書きや裁縫などを教える
夜学校を開き、企業内教育の先駆けとなったんですって。
明治に工場を開いたことといい、片倉工業のことといい、「志」というものを
感じられる製糸場だった。
すごいねえと言いながら、きれいなお蕎麦屋さんでお昼。福井県の粉を使った
というお蕎麦、おいしかったよ。
ここの絹物店で、買い損ねた絹のスカーフを買ったわ♪
二人は、泡がいっぱい立つ絹石鹸が良かったみたい。
平日で、空いていたので、高速道路で、かなり早く帰ってこれた。
今度また、Kさんのご主人の会社の別の保養所に行こうねと、言いながらね。(^^)
なんだか、あっという間に、帰る日になってしまったような気分。
帰りに、世界遺産になった富岡製糸場に寄っていくことにした。
明治に設立された製糸工場というと、ウィステは、すぐ、
「ああ、野麦峠」を思い出してしまう。
「世界遺産になったけれど、女工さんたちは悲惨だったのよ。
映画にもなったわ」と、Kさん、Yさんにも話しながら行ったら、
全然違ったわ。(^^;)
お富ちゃんという、袴姿の工女さんのマスコットガールが
描かれているパンフレットに説明されていたのは、
「当時の官営工場では、工女さんは、むしろエリート。
一等工女は、高給で、週1回の休みあり、宿舎、食事付き、
工場内の診療所で、医療費、薬代無料と、かなり大切にされていた」
ということでした。
ガイドさんも、「官営工場で、野麦峠のようなことはありませんでした」と言って、
広い工場の中を案内してくれた。ここは、115年間操業し続けたそうで、
明治のレンガ造りの工場はそのまま、ず~っと使われ続けたそう。
1987年(昭和62年)に操業停止したそうだけれど、その時の経営者、
片倉工業が、大事な歴史的建物だからと、維持費を負担して、管理し続けてくれ、
おかげで、世界遺産の登録を受けることが出来たそう。
しかも、片倉工業は、工場内の建物で、工女に読み書きや裁縫などを教える
夜学校を開き、企業内教育の先駆けとなったんですって。
明治に工場を開いたことといい、片倉工業のことといい、「志」というものを
感じられる製糸場だった。
すごいねえと言いながら、きれいなお蕎麦屋さんでお昼。福井県の粉を使った
というお蕎麦、おいしかったよ。
ここの絹物店で、買い損ねた絹のスカーフを買ったわ♪
二人は、泡がいっぱい立つ絹石鹸が良かったみたい。
平日で、空いていたので、高速道路で、かなり早く帰ってこれた。
今度また、Kさんのご主人の会社の別の保養所に行こうねと、言いながらね。(^^)