(加茂神社)
7日目曇時々雨。(2004.10.13.)
JR宮原駅から東へ商店街を抜けていくと、
宮原駅入り口の信号に出る。交差するところが旧中山道である。
信号を渡って左に折れる。京都に向かって右側を行く。
まもなく、右手に加茂神社がある。
文化7年徳川幕府によって作られた。
新編武蔵風土記稿に「加茂社、加茂宮村の鎮守にて
社辺の古杉数株あり、土地のさま旧社と見ゆれど、
勧請の年代詳かならず」と記されているが、
社前に宝暦3年4月、弘化2年12月刻まれたもの又、
文政10年8月御遷宮刻まれた石灯篭もあるので、
相当古い御鎮座あることがわかります。その昔
京都の上賀茂神社を勧請したものと伝えますから、
別雷の神を祀って五穀の豊穣と万物を生みなし育てる
神として祈り崇められてきました。幕府参勤交代の折、
加賀の掘丹波の守が、中山道往来の砌、
その妻女がにわかに産気を催したので当社に立ち寄り
御加護を祈願したところ、産気治まり無事国許に帰着後、
玉の如き男子出産を見たと言う。安産御礼のため奉納した
幣帛(へいはく)は現存しているという。
以後生産、安産守護の神として信仰が厚く、この辺り
加茂宮村の村社として・・・ー以下省略ー
(加茂神社由緒記)
(加茂神社)
社殿の囲いの隙間から覗くと、右側の本殿壁面に
加茂競馬の彫刻が施されているのが見える。
英泉の木曽街道の浮世絵では、加茂神社は
上尾宿として描かれている。
(英泉の浮世絵、加茂神社ー蕨宿の歩道にあったタイルより)
道路上に「中山道」の道標を見ながら進むと
上尾宿に入る。
(歩道上の中山道の標柱)