中山道ひとり歩る記(旧中山道を歩く)

旧中山道に沿って忠実に歩いたつもりです。

・芭蕉の道を歩く
・旧日光街道を歩く

浮世絵「木曽海道六拾九次之内 武佐」(旧中山道を歩く 310)

2012年03月14日 10時10分31秒 | 7.近江(滋賀県)の旧中山道を歩く(285~3


(馬渕町の信号)


(住宅の間を抜ける)


(近江牛のお肉屋さん前の信号も直進)


(回りは水田地帯)

(武佐宿 2)
馬渕町の信号を右折すると、住宅街の中へ入り、
住宅が切れると回りは水田地帯となる。
およそ1km先は東横関町となり、日野川の堤防に登っていく。
昇りきったところに、本来は川の流れが見える所であるが、
竹藪が生い茂っていて、何も見えない。


(東横関のバス停)


(日野川の堤防)


(広重が武佐を描いた場所)


(広重描く浮世絵「木曽海道六拾九次之内 武佐」)

案内書によると、広重の浮世絵「木曽海道六拾九次乃内 武佐」は、
この地点から対岸にかけて描かれているらしい。

広重美術館の説明によると、
(――前略――武佐宿を出たところには、横関川(日野川)があり、
さらに行くと善光寺川があった。
広重が描いた川は、横関川であろうとされているが、
中井川と言う説もある。
二艘の船をつなぎ止め、その上に板を渡して仮橋としている。
「中山道分間延絵図」や、太田南畝の随筆「壬戊紀行」には、
横関川の記述として、「舟橋をして渡る云々」とある。
重い荷物を背負っているからか、
おぼつかない足取りの老人の姿が橋の中ほどに見られる。
船をつないだ仮橋は渡りにくかったことだろう。
対岸からこちらに渡ってくるのは巡礼の夫婦か。
生い茂る葦は、湖岸近くの風情をよく示すものである。)とある。

昔は舟渡しであったところに明治から何度か橋が架けられたが、
昭和12年近代的な横関橋がこの上流にかけられ、
渡しがあった場所の橋は撤去されたという。
旧中山道は対岸にあるはずで、
そこへ出るには左へ迂回して横関橋を渡らなければならない。
横関橋を渡り、土手を対岸と思われる所まで進む必要がある。

横関橋を渡るために、土手を左方向に進む。
舗装されていない土の道である。
やがて見えてきた横関橋を渡ると、
橋にある歩道は昔の橋の一部と思われ、かなり幅広い。


(土手の道、広重の浮世絵に似せようと木を入れて撮る)


(川の水が見え、左の横関橋が僅かに見える。)


(横関橋)


(横関橋の歩道部分は広い)

橋を渡り終えたところに右に入る道があるので、
右折して対岸の土手を歩く。
今度は舗装してある。
道路はやがてY字路になるが、右は土手の上を行く土道である。
どちらへ進むべきか迷ったが、今度は堤防から離れていくはずであるし、
今まで舗装路であったから、左の舗装がしてある道をとる。
左手は遠くに見える国道8号線まで水田地帯である。
道順が正しければ、右手に若宮神社が見えてくるはずで、
期待しながらしばらく歩くと、右手の奥に若宮神社を見つけ、
ここが対岸地点と推察し、
とりあえず道順は正解であったと安堵する。
どんどん進むと変則十字路に出る。
突き当たりに地図があるが、
分りにくい地図で、どちらへ行くべきか考える。
夏と違いPM15:30の時刻では、山道でもないのに、
回りは少し薄暗くなっている。
ここは国道8号線へ出られるよう、
右斜め(直進と書くのが正しいかも)の道をとる。


(橋を渡り終えた対岸は竜王町)


(橋のたもとを右折)


(二又道は左へ)


(左手は水田)


(若宮神社)


(民家の間を抜ける。)


(変則十字路に突き当たる。少し薄暗い)

これも正解で、国道8号線(西横関)の信号に出る。
信号角に道標があり「是よりいせ道 ミなくち道」と刻まれている。
道の字が変体仮名で書いてある。
古文書講座で覚えた道の字である。
それにしても、どの道が伊勢であり、水口道かわからない。
薄暗くなってきているし、車の数が多くて、
道路端を歩くのも恐ろしいくらい。
しかし方向としては国道8号線を行けば間違っても守山方面に行けると思い、
右方向へ進む。


(西横関の信号)


(信号角の道標)


(古文書講座が役立った道の字)

多くの車におびえながら8号線を行く。
善光寺川を渡り進むと、左に日本ペイントの建物がある。
案内書ではペンキ屋手前を左へ入るとある。
ぺンキ屋の名前が書けなかったのであろう。
ここを左折して進み、すぐまた国道8号線出でる。
出たところが(鏡口)の信号、バス停のあるところ。
昔、間の宿であったと案内書にある。
(鏡神社・義経元服池)の案内もある。
これで旧中山道の方向は正しいことがわかった。


(車の量が多い)


(ペンキ屋手前を左折)


(合流地点(鏡口)の信号にある案内看板)

(鏡)の間(あい)の宿は、よく整備されていて、
江戸時代の屋号や職業がよく表示されている。
旅籠亀屋跡、旅籠京屋跡、後で出てくる義経宿泊の館跡等、
鏡の宿本陣跡(元祖林惣右衛門則之という)詳しい案内が目に付いた。
自治体の中山道に対する興味の深さを感じる。

義経は鞍馬山から金売り吉次とともに、この地に宿泊した。
その夜、野盗がおし入ったが、
ことごとく義経がこれを退治した逸話が残る。


(旅籠亀屋跡)


(旅籠京屋跡)


(義経宿泊の館跡)


(本陣跡)

国道8号線は登り坂になっている。
すぐ右手に天台宗真照寺があり、その先に源義経宿泊の館跡の碑がある。
京の鞍馬山で修行した遮那王(牛若丸)が奥州平泉へ向う途中、
鏡の宿に泊った場所である。
(この宿は白木屋と呼び澤弥伝と称し駅長であった。)とある。(鏡の里保存会)
中山道はなお登り道になるが、進むと右手の畑の前に駐在所跡の碑がある。
鏡の里保存会の説明を要約すると、
(明治14年から近江八幡警察署鏡分署として開設され、
明治22年武佐警察署下鏡巡査駐在所となり、
昭和30年まで使用されていた。)とある。

この先に鏡神社がある。


(中山道は長い上り坂)


(源義経宿泊の館跡の碑)


(駐在所跡)







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11 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
武佐宿は住友の元勲と言われる実業家・伊庭貞剛の... (g00g)
2012-03-15 12:23:16
武佐宿は住友の元勲と言われる実業家・伊庭貞剛の生まれ育った土地としても知られています
が、実業家は滋賀県から羽ばたいたんですね
返信する
変体文字、写真で見てもわかりませんでした。 (ytakei4)
2012-03-15 20:52:55
変体文字、写真で見てもわかりませんでした。
古文書も読まれるのですか?
この日は日帰りで帰ったのですか?それともどこかに泊まったのですか?
返信する
昨年はこの辺りで終わられたんでしたかな。 (鉄ちゃん爺や  黒田)
2012-03-15 21:36:44
昨年はこの辺りで終わられたんでしたかな。

そろそろ近江路も雪は融けてなくなる頃ですけど。

そろそろ三条大橋へ向けて再スタートされるんでしょうね。
返信する
浮世絵も、横関川のような説明が付くと、見て面白... (salasala)
2012-03-15 23:22:58
浮世絵も、横関川のような説明が付くと、見て面白いですね。

この頃は平坦な道だから楽だろうと思っていましたが、車の往来がこわいほどなのですね。
くれぐれも気を付けて歩いて下さいね。
返信する
g00g さん (hide-san)
2012-03-16 16:26:28
g00g さん
コメント有難うございます。

前回(旧中山道を歩く 309http://hide-san.blog.ocn.ne.jp/bach/2012/03/post_bfb3.html)に書きましたが、
武佐駅とその横の踏み切りを渡った所に、
仰せの伊庭貞剛の生誕地跡が公園になって残されていました。
後世に残る方ですね。
返信する
ytakei4 さん (hide-san)
2012-03-16 16:31:58
ytakei4 さん
コメント有難うございます。

「ミなくち〇」の〇の部分に書かれた古い文字。
古文で「道」という字を崩した文字です。

この日は野洲駅から東京へ帰りました。
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鉄ちゃん爺やの kuroda0729さん (hide-san)
2012-03-16 16:36:41
鉄ちゃん爺やの kuroda0729さん

コメント有難うございます。

この先暗くなるまで歩いて、JR野洲駅から東京へ戻りました。
12月の陽の暮れ様は「秋の陽のつるべ落とし」以上に速いですね。

東京と違い街灯もなく真っ暗の中を帰りました。
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salasala さん (hide-san)
2012-03-16 16:44:29
salasala さん
コメント有難うございます。

国道8号線は、脇の歩道が狭くてひとり歩ける程度。
土地の人たちは国道8号線は歩かないで違う道を歩くのでしょうね。

大型トラックに巻き込まれそうでした。
気をつけて歩きます。
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う~~ん この辺も歩いたことがある。龍王山から... (どら)
2012-03-17 09:40:30
う~~ん この辺も歩いたことがある。龍王山から降りて道の駅へ行く途中で寄りました。
中山道全行程歩く時間が無いけれど 時々記憶が蘇る場所があって嬉しい。
義経のエピソードが残る史跡は みんな思ったより小さなものでした。
中山道特に思うのですが 道路事情が歩く人に優しくなくて ひやひやする場所が多かった。
ちょっとストレスを感じる道路でした。
返信する
どらさん (hide-san)
2012-03-17 10:55:33
どらさん
コメント有難うございます。

昔のエピソードが残る史跡はとても小さいですね。
背後に隠されたエピソードは歴史を変えた内容ですね。
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